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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

劇場版501

「劇場版501」を見に渋谷のユーロスペースに行った。

見終えたあと、渋谷駅まで行ったんだけど、何となく電車に乗る気分じゃなくって、新宿まで歩いて帰ることにした。

耳にイヤホンを刺し、ディストーションギターを爆音で鳴らす。

1月4日、深夜の渋谷を歩く。

いつもなら混雑するスクランブル交差点もすいすい歩ける。

駅に向かう人たちとすれ違いながら歩く。

タワレコ前まで来ると歩いてる人はほぼ皆無。

明治通りに入っても誰もいない。

お店もみんな閉まってる。

初売り、SALE、最大70%オフ。

明かりの消えたショーウィンドーにはおんなじような言葉が並ぶ。

ラフォーレ、原宿通り、今は亡き国立競技場。

北に向かってとにかく歩く。

頭の中では、さっき見た映像がぐじゃぐじゃと煮詰まっている。

歩きながら、思いつくままに感じたことをTwitterに書いた。



書きながら首都高を越える。

新宿御苑の脇を歩く。

まだ頭はグルグルしている。

たぶん、ビーバップみのる監督の頭の中も、俺と同じようにグルグルしている。

映画のラスト30分、監督は明らかにオチを付けようとしていた。

自分の迷いに対する落とし前を、映画的な仕掛けを通してつけることで、作品のオチにしようとしていた。

ただ、あれはそもそも、オチとしては弱かったんじゃないか。

そんなこと、やる前からわかってたはずだ。

あれをやったって、自分にも、作品にも、きれいなオチをつけることにはならない。

わかってるけど、やらずにはいられなかった。

商業監督だから。

何らかの落とし前をつけて、作品を完成させなければいけないから。

だからたぶん、監督としては、あれは不本意な作品、もっと言えば失敗作だと認識してるんじゃないか、と思う。

ドキュメントAVを撮ろうとして、失敗して、「失敗して足掻く自分についてのドキュメント」を作ろうとしたけど、それも思ったとおりに作れなかった。

監督の認識は、こういう感じなんじゃないだろうか。

ただ、劇場版501が俺をこんなにグルグルさせるのは、まさにあれが上手くいかなかったからだ。

足掻いて足掻いて、上手く行かなくて、どうしていいかわからなくて、でもどうにかしたい気持ちと後悔だけはメチャクチャあって。

そういう監督の姿がゴロンと生肉の塊みたいに提示されてて、そのいびつさとか、カッコ悪さとか、生々しさとか、そういうものがいちいち胸を打つ。

出来上がったモノを見て、どうにも居心地の悪さを感じて、公開後にまた編集してしまう、そういう往生際の悪さにたまらなくなる。

だって、あれは俺だからだ。

高校、大学を経て平ヅラの社会人のオッサンになったいまに至るまでずーっとくすぶり続けている、俺の中に僅かに、けれどしっかりとこびりついている、ロックンロールのかけらの発露だからだ。

もう大人だし、それなりに仕事は忙しいし、収入考えたら会社やめることもできない、その勇気も無鉄砲さもない。

何かを本気でやってやろう、なんて思ってないし、そこまで熱く燃え上がるものもない。

でも確かに胸の中にはくすぶってるものがあって、チラチラと顔を出して俺を苦しめる。

それでいいのか?それでいいのか?って俺に問う。

そういうときは、昔から、夜の街を歩くのだ。

イヤホンで爆音鳴らして、ただひたすらに歩くのだ。

ちょうど、今みたいに。

家に帰ったら、風呂に入って、ウイスキーを少し飲んで、寝よう。

明日、仕事が終わったら、ハマジムの会員になって、完全版501を見てやろう。

しばらく、酒量が増えるかもしれないなあ。

旨い酒でも買おうかな、その代わりに通勤は歩きにしようかなあ。

そんなことを考えながら、靖国通りを歩いていく。

もうすぐ家についてしまう。

まだ、帰りたくないけれど、たぶん寄り道はしないだろう。

なんとなくそう思った。