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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

ファミリーヒストリー

NHKファミリーヒストリー林家正蔵の回を見た。
祖父の正蔵、父の三平、当代のこぶ平と三世代に渡る落語一家の物語だ。

祖父の正蔵は顔からして面白かった。
落語みてると、面白いかどうかはだいたい顔でわかるようになる。
元は桶屋で、ひょっと落語家に転身したそうだから、元来が面白い、いわゆるフラのある人だったのだろう。

父親の三平は、若いころはそれはもう面白くなさそうな顔をしていた。
それが年をとると、ちゃんと面白そうな顔になる。
背景にはバカになるための努力があった。
あのバカみたいな面は、努力で作り上げたバカ面なのだった。

当代のこぶ平はというと、これがまあ面白くない顔をしている。
ぼんやりとだらしない顔つきに、目だけが狡猾そうに濁っている。
小悪党の顔である。
臆病なヤクザの顔である。
大学病院の万年助教授の顔である。
これはいけない。

祖父。元来フラのある芸人。
父。努力してフラを身につけた芸人。
子。無能。
こういうファミリーヒストリーだった。

番組を見ているとき、部屋には俺と彼女の二人がいた。
引っ越しを週末に控え、荷造りを手伝いに来てくれたのだ。

私物を分け、箱に詰め、封をして、玄関の前に積んでいく。
作業が進み、押し入れの奥のものを引っ張り出すと、懐かしいものがたくさん見つかった。
長いこと一緒の時間を過ごすと、全ての私物は歴史になる。

懐かしいのう、いろいろと思い出すのう。
俺は言った。
そうだねえ、いろいろあったねえ。
彼女は応えた。

ダラダラと作業を続けながら、俺は言った。
悪口とか負け惜しみとかじゃないから、悪く取らないで聞いて欲しいんだけどさ。
長いあいだ一緒に住んで、完全にツーカーでさあ。
俺らお互い、本物の家族より家族みたいだね、なんて言ってたじゃんか。
それなのにさあ、別れようってなってから、まだ何週間も経ってないのにさ。
いまこうしてるときの空気とかもさ、やっぱ、違うんだな。
別れても家族みたいに思うのかなあ、兄弟みたいになんのかなあって思ってたけど、そうじゃないんだな。
なんかあれな、驚くよな。

うーん、私はそのへん、ばさーっといくタイプの人間だって自分でわかってたからねえ。
付き合ってる時は、もう結婚するんだなーって思ってたし、別れるなんて思っても見なかったし、完全に家族って思ってた。
でも、別れるとなったら、やっぱり家族ではないよね。

そかあ。そんなもんかあ。寂しいなあ。

うん、そんなもんだよ。寂しいけどね。

テレビでは、こぶ平が泣いている。
お祖父ちゃんは自分が生まれる前に亡くなって、とかなんとか語ってる声がする。
服はたぶんギャルソンだ。

こぶ平さあ。
クソつまんねえし、自分のつまらなさを自虐ネタにして、はいはい私はちゃんと自分のつまらなさを客観視できてますよ、みたいな空気出す感じとか本当に嫌いだし死ねばいいのにって本気で思ってるけどさ。
でも、少なくとも、こいつのお祖父ちゃんや、父親は、ちゃんと家族を営んだんだよな。
家族と過ごして、老いて、死んで。
途中でやめることなく、家族の歴史を紡いだんだよな。
何かそれだけでさ、俺、負けた気がするよ。
俺はファミリーヒストリー作れなかったもん。
なんか俺、海老名家に負けた気がする。

彼女はくはっ、と笑った。
それは彼女が本当に可笑しいと思っているときの笑い方だった。
なにあんた、私らが結婚して、ちゃんと家族やってたら、海老名家に勝てたと思ってんの?
彼女は笑いながら言った。

海老名家に勝つ、ってどういうことなのかわからんけどさ。
俺とお前が、タイミング失わずに結婚してて、子孫もちゃんと残していたらさ。
ほんで孫あたりが芸人になったとして、こぶ平よりは面白い奴になったと思うよ?
そう思うやろ?

ああ、それはそうかもしれんねえ、と彼女は言った。
それ以上は何も言わなかった。

僕と彼女のファミリーヒストリーは、もう終わってしまった。
紡がれるはずだった長い長い物語は、すべてifの彼方に消えてしまった。
だからあとは、可能性を想像して、笑い話にするしかない。

もし、あの時、結婚してたらさあ。
もし、もっと早く、子供なんてできてたらさあ。
仮定の話を並べる。
突拍子もない仮定をして、極端な将来にたどりついて、笑う。
あり得たかもしれない未来を、ひとつひとつ針でさして潰していきながら、笑う。

笑いながら、自分がもう、あまり悲しんでいないことに気がついた。
悲しくはないけれど、寂しかった。
ただただ寂しかった。
彼女はどう思っているのだろう。
俺の十分の一でもいいから、寂しいと思っていてほしいな。
そんなふうに思った。