bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

いつもいつでもそこにいる亀

駅から家までは、バスに乗って20分。
最寄りのバス停から2つ手前で降りて、5分歩くと少し大きな公園がある。
公園には、昔ここにあったという、お寺の名前がついている。
駅からも幹線道路からも離れた場所にあり、住宅街の真ん中にぽつんと佇むエアポケットみたいな公園だ。
公園のメインは池である。
俺はこの池が好きで、たまに仕事帰りに立ち寄ったりする。

夜の池は静かで暗い。
人はいない。
いつも、池のほとりのベンチに座る。
とりとめもないことを考える。
この池は、昔は水が湧き出していたらしいが、いまは湧き水は枯れてしまって、ポンプで水を汲み上げているらしい。
人で言えば、自発呼吸ができなくなって、酸素マスクをつけているようなものだろうか。
そう考えると、この池の静けさがわかるような気がする。
ひとりきりの病室の静けさ。

ベンチにしばらく佇んで、寒さが染み込む前に立ち上がる。
帰る前には池をぐるりと一周する。
さほど大きくもない池だ。
三分歩き、ちょうど反対側まで来ると、そこに大きな石がある。
大きくてすべらかな、黒い石。
何かの光に反射して、濡れたように光っている。

石の上には決まって亀がいる。
足を止め、池の柵に手をかけて、亀を眺める。
吐く息が白く煙る。
俺はこの亀の顔を見たことがない。
いつも顔と手足を引っ込めて、甲羅だけの姿になっている。
大きな石の真ん中、いちばん収まりのいい場所に、甲羅がちょこんと乗っている。
あまりに収まりが良いので、山の頂上のケルンのように、誰かがそこに置いたように感じる。
池と、黒い石と、甲羅。
ささやかな月の光。
静寂。
そこには完璧な調和があった。

池から家まで、帰り道の5分間、亀のことを考えていた。
あの亀は、生きているのだろうか。
あの甲羅の中には、頭や手足や、肉が詰まっているのだろうか。
それとも、あれはもはや亀ではなく、ただ甲羅が残されているだけなのだろうか。

どちらでも同じことだろ、と思う。
生きていても死んでいても変わらない。
あの亀は、ただいつもそこにある。
調和の中に佇んでいる。
調和とは、閉じられた箱のようなものだ。
箱の中身がどうなっているか、それは誰にもわからないのだ。
開けてみるまでは。

家に帰る。
この部屋にかつてあった調和のことを思う。
ここにも完璧な調和があった。
美しく封じられた景色があった。
何かが箱の蓋を開け、この部屋の時間が動き出した。
そして調和は失われた。

部屋には段ボール箱が並んでいる。
週末には引越業者が来る。
俺があの公園で亀を見ることは、たぶんもうない。