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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

めずらしい一日

「フラレた。きつい。助けてくれ。」
ってメールしたら、すぐに友達がきてくれた。

阿佐ヶ谷の店で飲んだ。
痛飲。鯨飲。焼酎、ワイン、浴びるように酒を飲む。
ほんとはそんな店じゃないんだけど。
ご夫婦で切り盛りしてる、魚とおでんがおいしい、隠れ家的ないい店なんだけど。
でもきょうだけは、暴飲。
お客さんも少ないから、何を話しても安心。

それでいったい何があった、そう聞かれた。
同棲して長く続きすぎて安心しきって油断しちゃって、裸で寝転んでテレビばっか見てたら幻滅された。
そのタイミングで別の男に情熱的に口説かれて、そしたらそっちにいってしまった。
そんなようなことを説明しながら、あーこれはフラレても仕方ねーな、と改めて思った。
友達も、それは仕方ねーなお前が悪い、と断じた。

テーブルの上には旨そうな刺し身やおでんや自家製ツナのサラダなんかが次々と登場する。
それらにろくに箸もつけず、ハイペースでワインボトルを空にしていく。

とにかくさあ、自立するしかないんじゃない。
友達がいった。
君らはさあ、二人でいるのが楽しすぎて、二人だけで引きこもって完結してるみたいなとこあったじゃん。
ああいうの、よくないし、なんかもったいないよ。
付き合うとか別れるとか、そんなのは流れだからどうなるかわからないけど、どうなるにせよ、お前は自立しなくちゃだめだよ。
自分だけの人間関係とか、自分だけの趣味とか、なんていうか、自分自身の人生を充実させたほうがいいよ。
友達はそう言って、僕のグラスに白ワインをそそいだ。
僕はそれを一息に飲み干した。

それから僕らは、引越し先をどこにするかとか(お薦めは新宿御苑らしい)、30半ばの独身男の市場価値とか、失恋した30半ばが友達呼び出してワイン飲んでるってなんだこれ俺らOLかとか、その場にふさわしい会話をひとしきり続けた。

ワインボトルを5本あけ、したたかに酔い、コーヒーでも飲みに行こうぜ、深夜までやってる喫茶店があるんだ、と店を出たら、目の前に女性がいた。
ガイドブックを抱えてあたりを見渡すその姿は、どこからどうみても観光客だった。
背は少し低く、黒髪を肩で揃えて、好奇心の強そうな、丸い目をした人だった。

どうしたの、あー、excuse me?
酔っぱらいの気さくさで声をかける。
彼女は最初びくっとして、でもすぐに笑顔になって、
サンキュー、アイウォント、イート、ヤキトリ。
我々よりは流暢な、でもカタコトの英語で返す。
焼き鳥ならこの先に立ち飲みがある。
いつも人だかりがしているけれど、僕は入ったことがなかった。
こういう日に初めての店ってのも悪くない。
オーケーオーケー、カムウィズアス。
彼女はトコトコと僕らの後をついてきた。

立ち飲み屋は満員御礼。
偶然にも四周年記念の日だったらしい。
道路にせり出したテーブルの一角に陣取る。
いつのまにか、隣にいたおねーさんも一緒になって飲んでいた。
おねーさんは何してる人なんですか?
へえ、劇団の人なんだ、俺らの友達で役者やってるのがいるんだけど、○○って知ってます?え、友達?こないだも飲んだ?わー、世間せまっ。
…みたいなやり取りがあったような気がする(この辺りからはところどころ記憶が飛ぶ。)
はい、ねぎま、はつ、ぼんじり。
目的の焼き鳥がきて、みんなで熱々の串を頬張る。
美味しかった。少なくとも、日本人として、外国のお客さんにも恥ずかしくないレベル。
隣のおねーさんの英語力とグーグル翻訳のおかげで、黒髪の彼女との会話もはずんだ。
中国の南の方の都市からひとりで来たこと、三日前からきょうの朝までは札幌にいたこと、すぐ近くのホテルに宿泊していること、明日は朝から富士山にいくこと。
そうなんだ。東京はどこか見たの?
ううん。空港からここまで来ただけ。観光もしたかったけど、ヤキトリだけでも食べられてよかった。

僕と、友人と、おねーさんとは顔を見合わせる。
このままでよいのか。彼女をこのまま帰してよいものか。何か東京を、日本を見せてあげなければいけないのではないか。
酔っぱらいが結託する。浅知恵が回りだす。
タクシーでどこかにいくか?
いや、明日は朝から富士山に行くのだ、眠らなければいけないだろう。
となると近場、それも徒歩でさっと行ける範囲。

神社があるよ、神明宮。
おねーさんがいった。
あそこは大きい神社だし雰囲気もあるし、夜は門がしまってるけど、簡単に乗り越えられるよ。それに何より、あそこは阿佐ヶ谷の守り神だから、ご挨拶して、旅の安全をお願いしたらいいよ。

二分歩いて、ひとつ信号を超えると、そこがもう神社だった。
大きな鳥居がそびえ立ち、その下の門はやはり閉まっていたけれど、そこを乗り越えるのは難しいことではなさそうだった。

いざ門を乗り越えようとすると、彼女は怯んだ様子だった。
われわれは三者三様のカタコト英語で、これが犯罪でないこと、日本の神様が寛容なこと、旅行者が土地神様にご挨拶をするのはむしろ正しい行いであることを説明した。
犯罪でないかどうかはいくぶん怪しいけれど、悪いことは何もしないし、たとえ見つかったとしても、お巡りさんもお説教で許してくれるだろう。

わかった、これは聖なる行為なのね。
その通り。でも秘密の行為だよ。だから静かにね。
われわれ四人は華麗に門を乗り越え、鳥居の内側に侵入した。
夜の境内は真っ暗だった。
遠くの社務所の前にぼんやりと、ベンチを照らす明かりが見えた。
境内にある照明はそれひとつきりのようだった。
いまは誰もいないけど、ニューイヤーズデイにはとてもたくさんの人がここにくるのよ。
おねーさんが彼女にレクチャーをする。
ここは能楽堂だよ、えーと能ってなんて言うのかな、ドゥーユーノウ、ジャパニーズノウ?
友達は言葉の壁にぶち当たっている。
彼女はスマホでいろんなものの写真をとっている。
大鳥居、手水鉢、能楽堂
フラッシュの光に、景色が瞬間浮かびあがる。

僕は、ひとり奥へ進み、本殿を探した。 
歩いていくと、大きな門があった。
とても乗り越えられない、大きな塀と門。
塀の隙間から本殿が見えた。
あれー?
追いついてきたおねーさんの声。
ここって、夜しまってたっけ。あれ?
友達が門にはられたポスターを見つける。
そこには、本殿改装のスケジュールが細かく記載されていた。

ごめんね、こんなはずじゃなかったんだ。
彼女をホテルまで送る道、僕は彼女の隣を歩いていた。
いいよ、楽しかったし、遠くからでも神様に挨拶できたから。
彼女は言った。
でもなんか不思議だよ、初対面のフォーリナーの女の子とこんなふうに遊んだのは初めてだ。
僕は言った。
実はね、三日前に、七年つきあった女の子に振られたんだ。
僕はとてもブロークンハートで、友達にヘルプ!って言ったんだ。
それで飲んでいたら、君と出くわして、たぶん素面だったら声をかけなかったんじゃないかなあ。
そんなようなことを苦労して話した。
じゃあ、あなたがフラレたおかげで、わたしはヤキトリを食べられたのね。
彼女は言った。
とても美味しかったし、神様にもご挨拶できた。
悪いことは、いいことの入り口。
あなたはいい人だから、きっと幸せになれると思う。
さみしいだろうけど、元気を出して。
彼女は僕を見て、そんなことを言ったと思うけれど、定かではない。
何しろ酔いが回っていたし、そもそも僕は英語が得意ではないのだ。

ホテルの前で彼女と別れた。
別れ際、彼女は写真を撮ろうとして、スマホを出し、画面を見つめ、オウ、と言った。
悔しいな、何も撮れてないみたい。
神社があまりに暗かったので、スマホのフラッシュでは役に立たなかったようだ。
本当に秘密の行為になっちゃった。
彼女は言った。
やっぱりバチが当たったかな、とおねーさんが小声で言った。
それから、四人の写真をとり、ひとりずつ握手をした。
僕にはハグをしてくれた。
何かを言われたけれど、僕にはわからなかったし、聞き返す雰囲気でもなかったから、サンキュー、とだけ返した。
元気を出して、とか、幸運を、とか、まあそんなようなことだろう。
三日前にフラレた男にかける言葉なんて、それ以外にあるわけがない。

そのあと僕と友達とおねーさんとはホテルのとなりのイタリア料理店に入り、ビールを飲み、チーズリゾットをすこし食べた。
急に眠くなったので、僕は友達とおねーさんをおいて先に帰ることにした。  

タクシーに乗り、目を閉じると、真っ暗な神社の景色が浮かび上がった。
柵の隙間から遠くに見えた本殿のことを思い出した。
あのとき、神社にいったら、僕もささやかなお願いをするつもりだった。

ひとりが怖くなくなりますように。
僕自身が、いまより良くなれますように。
変われますように。

囲いに覆われた本殿に、願いは届いただろうか。
でも願いなんて関係ないよな。
僕がどうするか、それだけなんだよな。

あの娘は富士山に登れるだろうか。
明日は晴れてほしいな、綺麗な日本を見て帰ってほしいな。
自宅までの短い車中で、そんなことを思った。