bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

通貨と信頼

Bitcoin絡みで通貨の話が多いので、自分でも書いてみる。

「通貨の価値を担保しているのは何者か」という問いがある。
この問いに対するもっとも適当な答えは、「そんなものはない」だ。

Bitcoinについての議論をみていると、
多くの人が「通貨の価値は国家によって担保されている」と考えているようだ。
この考えは、正しくない。
国家は、その国でもっとも流通量の多い通貨の発行権を持っているだけだ。

通貨の価値は何者によって担保されているのか?
それを考えるときは、金を題材にするといい。
つい数十年前まで、世界の通貨は金本位制だった。
通貨は金と交換できた。
金が通貨の価値を担保していた。

じゃあ、金の価値は誰が担保していた(いる)のか?
誰でもない。
金の価値を担保しているのは、
「金が価値あるものとして流通している」という事実そのものだ。

「現に通貨が価値あるものとして流通している」という事実は、
「今後も問題なく通貨は価値あるものとして流通し続けるだろう」という「信頼」を生む。
この「信頼」こそが、通貨を通過足らしめているものである。

「信頼」とは、もう少し厳密に言えば、「疑われていない」という状態のことである。
私たちは、学食で食事をするとき、
「学食のおばちゃんが発狂してA定食に毒を盛ったりするかもしれない」なんて心配をいちいちしたりはしない。
なんの疑いも抱かずにA定を注文する。
これが「信頼」である。「信頼」に根拠はない。

話をBitcoinに戻す。
Bitcoinの信頼性が揺らいでいる。
いまBitcoinに起こっているのは、流通システムの一部の混乱である。
つまり、「通貨が価値あるものとして流通している」という状況が成立していない、ということである。
人々はBitcoinの流通システムに疑いを抱きだす。
こうしてBitcoinの信頼が棄損され始める。

Bitcoinが今後も通過足りえるか、それは誰にもわからない。
「価値がある」と皆が認め続けるかどうかが分かるならば、それはただの未来予知だ。