bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

鉄クズ

ちょっと経験のないくらいの忙しさが数ヶ月続いている。一日一日を乗り切ってればそのうち馴れるだろうかと思っていたが、どうやらそういうものでもないみたいで、気がついたらなんかもうくっちゃくちゃに丸めた新聞紙みたいになってしまっている。疲れている。やさぐれている。壊れている。手首と肘のあいだとか、股と膝のあいだとか、真っすぐであるべき部分にいくつもいくつも関節ができて、それら全部が曲がったままガチガチに固着している。波をかぶる右半身にはフジツボカメノテがびっしりと張り付き、鍾乳洞の中の左半身には何本も石筍が伸びている。眼には五寸釘が刺さり、耳には鉛が詰められている。ため息をつくためだけに口があり、悪夢を見るためだけに脳がある。過去の殺人が発覚しそうになる夢を見て、痛いくらいの動悸とともに目を覚まし、どこまでが夢でどこまでが現実か区別がつかず真夜中に怯えている。野ざらしの鉄クズみたいにただ錆びていくだけの日々が続いている。

 

ひとりだったらきっとこのまま朽ち果てて、鬼怒川沿いのホテルみたいに廃墟になっていたのだろうけれど、幸いにもいまの僕には優しい彼女がいて、色々と世話を焼いてくれるので、なんとか踏みとどまっている。優しくて聡明な彼女は、自分も疲れているというのに、スクラップの山の中から僕を探しあて、へばりついたフジツボをバリバリと剥がし、石筍をポキポキと折り、関節をゴキゴキと伸ばしてくれる。洗浄し、漂白し、型を整え陰干しし、なんなら少し彩色もほどこして、柔らかな布で包んでくれる。風通しのよい、静かな薄暗い場所でそっと寝かせてくれる。そういう工程を経て数日の後、気がつけば僕は人間性を回復している。連休前までガチガチのギチギチになっていた頭と身体がほどよく緩み、あちこちに隙間ができている。精神に余裕が生まれている。

 

そんでようやっと文化的な娯楽を楽しめるようになったのがGW後半。静岡に行き、駿府城公園周辺の野外で2日たっぷり好きなお芝居を見た。目抜き通りの交差点で羽衣の「果物夜曲」を見て涙し、文化会館の駐輪場でロロの「グッド・モーニング」を見て涙し(白子ちゃんの『見せもんじゃねーぞ!!!!』ってセリフで笑いながら泣くのだ、見るたびに)、範宙遊泳のピュアネスとポップネスに幸せな気分にさせられた。ストレンジシード、気候も良くて混んでもいなくて、ほんと快適だった。さわやか新静岡セルバ店もすぐそこなので観劇の合間にげんこつハンバーグもいける。はじめてのさわやか、とっても素敵な体験でした。

 

そんで日焼けと足腰の痛み(地べたに座っている時間が長いので身体が痛くなるのだ)を抱えて帰京して今日。明日からは仕事。少なくとも向こう3ヶ月は多忙。嫌。シンプルに嫌。もう仕事なんてしたくない。でもいきなり辞めたら暮らしがなりたたない。選択肢は無いのだ。また鉄クズに近づいていくのを覚悟しつつ、多忙な日々に戻っていくしかないのだ。

ダスト・バニー・ライド・オン

何日か前の夜中にタイトルだけ書いてそのままほかしといたら何を書こうとしてたんかまったくわからなくなった。なんぞミッシェル・ガン・エレファントのこと書こうとしとったんかなあ。でもいま別にミッシェルのことで書くことなんもないなあ。むかーし、リットン調査団が漫才のツカミで「どーもー、ミッシェル・ガン・エレファントですー」ってやってたの思い出したけど、そこからなんも広がらんしなあ。そいえばリットン「どーもー、ギターウルフですー」なんてのもやってたなあ。「どーもー、ブランキー・ジェット・シティですー」「どーもー、ナンバーガールですー」これらはやっとらんかったなあ。「福岡市博多区から来ました、ナンバーガールと言います。………………蝦夷の地に。ひとり佇む少女が居たねえ。……あの娘って、誰。…それが例えば透明少女(言い終わらぬうちにカットインする田渕ひさ子のギター)」これはいまでもソラで言えるくらい覚えてる、1999年のライジングサンロックフェスティバルのThis is 向井秀徳。後ろの方でビール飲みながら見てた。男友達と、そいつといい感じになってる女の子と、その女の子の連れの女の子と、4人で見てた。あれなあ、いま思えば、あいつ、連れの女の子と俺のことくっつけようとしてたよなあ。俺はそんなの何も気にせずにひとりで最前列に特攻→バテて後方で休憩→また最前列に特攻を繰り返してて、誰ともろくに会話してなくて、真夜中のミッシェル・ガン・エレファントでダイブした拍子に靴が脱げて、転換のタイミングでスタッフに聞いたら同じような経緯で脱げた靴がこんもりと山になってるとこに連れて行かれて、真っ暗な中、ギターウルフの轟音を背中で聞きながらひたすら靴を掘り続けたんだった。黒のナイロンのコンバース、掘り当てたときは嬉しかったなあ。そこで体力使い果たして寝こけてしまってスーパーカー見逃して、目覚めたら夜と朝の合間のなんとも言えない空の下、ブラッドサースティ・ブッチャーズがエモいって言葉でしか表現できないような、泣きたくなる音でギター鳴らしてたんだよな。あれは本当に良かったなあ。

 

ここまで書いて寝落ちした。目が覚めていまは朝の4時。たぶんあんときのブッチャーズと同じくらいの時間。飲んでもないのに自分語りってのは、あれすかね、老いたってことすかね。でもなあ、死なない限りはまだまだどんどん老いるんだよなあ。老いたらもっと自分語りするようになんのかなあ。老いて老いて老いつくして、老いの果てに手が届くくらいまで老いたら、自分語りもそれ相応にレベルアップすんのかな。自分の概念が拡張されて、私とあなたの、過去と未来の、ひとつとすべての境目がなくなって、何を語っても自分語りみたいになんのかな。それとも、どこまでが自分なのか、何が自分かわからなくなって、何も語れなくなったりすんのかな。語り得ぬものについては沈黙しなければならない。でもさ、黙ってたら何も伝わらないじゃんか。仲良しこよしの友達ならそれでいいけどさ、せっかく一緒に住んでるわけだし、思ったことは何でもぶつけあわないと、本当の関係は築けないと思うんやんか。テラスハウス見てると一定の間隔でこういうこと言うやつが出てくるけど、俺ほんと苦手。全部オープンにしないと仲良くなれないなんてそんなん嘘。仲良くなったから色々とオープンにできる、が本当。と思う。ベースに揺らがない信頼感が構築されて、お互いの存在を肯定し合ってる、ちょっとやそっとじゃ変わらない、そういう関係になって初めて深いことが言えるようになる。そういう信頼感ってのは貯金みたいなもんで、どうしたって時間がかかる。コツコツと積み上げるしかない。積み上げんのサボんな、と思う。思うんやんか。思うんやんかさ。

 

 

ウンゲツィーファ「さなぎ」

ウンゲツィーファ「さなぎ」@東中野 驢馬駱駝。

東京は大雪の予報。

 

ぼんやりしている。
例えば夜と朝の間の時間。
まだ暗く、朝とは言えないのだけれど、さっきまでの夜とは明らかに異なっている。
黒だったものが紺になり、次第に群青になっていく。
ゆっくりと、だけど確実に変化している。
もうじき夜は明ける。
明けてしまう。
否応なしに迎えてしまう覚醒の前、最後に残った青い気だるい気配がそこにある。
刻一刻と変化していくのを感じながら、いつまでも何も変わらないみたいな顔をして、道端に座って空を見上げている。

 

どうしようもないことばかり起こる。
真っ暗な山道で飛び出してきた動物を跳ねるとか。
孫がいるような年齢で二回りも年下の女性と付き合っていたら子どもがほしいと言われてえ?だって俺もうすぐ定年なっちゃうよ?なんてつまらないことしか言えなくなっちゃったりとか。
ずっと演劇やってて未来が見えなくて家族の理解もなくて不安で不安で彼女にすがってばかりいたら彼女に一年海外に行くって言われて寂しいけど止められもしないとか。
彼女に寂しいって言ったけど彼女はあんま寂しそうじゃなくて向こうで恋人できたらどうする?って言われてそんなん悲しくて死ぬ、って言ったけどでも好きな人ができるなんてそれ自体はどこにいたって止めようもなくてどうしようもないよなって思う、とか。
世の中には(つうか俺たちには)そういう仕方ないことがたくさんある。
何も出来ない。
どうしたらいいのかも、どうしたいのかもわからない。

 

わからないのは誠実だからだ。
これだけは胸を張って言える。
俺は(私は)ずっと誠実なままでいる。
何に?自分の気持ちに。
私は誰も傷つけたくない。
自分だって傷つきたくない。
だから何もかもが上手くいく完璧なハッピーエンドじゃないと少なくとも積極的には受け入れられない。
でも私は馬鹿でも世間知らずでもないから、そんなのは望んでも得られないってわかってる。
だから動けない。
何もできない。
布団の中で、できるだけ温かくいられる姿勢で、じっとしていることしかできない。

 

布団の中で、物事は繋がっていく。
不安は不安と接続していく。
距離や時間は障壁にならない。
イメージの世界ですべては繋がっていく。
イメージがイメージを呼ぶ。
こことそこの境目がゆらぎ、いまといつかが同じになる。

 

決着の予感がする。
いつか夜は明ける。
いつか夢は覚める。
1年経てばビザは切れるし、懐妊を知らせる電話は急にかかってくる。
決着の瞬間はいつか必ず訪れる。
訪れたら、決めなくたって決まってしまう。
線が引かれたとき、その瞬間に立っていた方を選んだことになってしまう。
私は何も選んでいないのに、選んだことになってしまう。
私はそれを知っている。
いつか訪れると知っていながら、同時に「いつか」と「いつまでも」の違いについてはどこまでも鈍感でいる。

 

地球の回転に逆らって飛ぶ飛行機に乗り、夜と朝の境目を飛び続けることを夢想する。

いつまでも終わらない、ただひたすらにやさしい朝焼けの景色のことを。

 

9階からのエレベーターを降り、外に出るとちらりちらりと小さな雪の粒が舞っていた。

空気は冷たく張り詰めていたけれど、積もるような感じはまるで無かった。

 

それから西荻の見晴料理店に行き、食事をしながらビールを飲んだ。

お芝居の余韻に浸るあまり、黙りこんでただただビールを飲む機械となってしまい、彼女の機嫌を損ねてしまったり、前菜のひとつで出てきた鮭ハラスの西京焼きがあまりに美味しくてわがままを言ってそれだけを焼いてもらったりした。

店内に流れるソウルシンガーの歌声が少し桑田佳祐に似ていて、サザン…?あ、違うか、というくだりを4回くらいやった。

 

凍りそうな帰り道、さっきは何を考えていたの?と聞かれた。

僕は、わからない、と答えた。

わからないことを、うっかりわかってしまうことのないよう、慎重に慎重に考えていた、というのが本当のところだったのだけれど、そんなふうに正確に答えようとするのがなんだか貧相な行いに思えた。

わからないままでいたかった。

家に続く道の街灯が新しくなっていて、真夜中の景色は夕暮れのような色に染められていた。

雪は相変わらず積もらない程度に降り続いていた。

 

 

 

 

 

函館

9月の夏と秋の境目のころ、函館に行った。佐藤泰志の本と映画に影響されての旅だった。函館はよく晴れて、海風が強く吹いていた。空はどこまでも青く、海はさらに青かった。街には人影がなく、地震のせいで観光客が来ないのだ、とタクシーの運転手が教えてくれた。

 

函館は海と山に囲まれた街である。北に山、東西と南に海があり、南の海辺には砦のように函館山が構えている。海辺には堤防のようなものはなく、道と同じ高さで海が見える。高い建物も少ないので、市内のどこからでも函館山が見える。遮るもののない空はどこまでも広く、海とつながってひとつになるところまでを見通すことができる。建物はなぜだかやたらと四角く重厚で、どこか厳粛な雰囲気がある。街は狭く、少し移動すればすぐに海か山に行き当たる。どこまでも開けている開放感と、どこにも行けない閉塞感が同居している。だから、この街を歩いていると、諦めながら微笑みを浮かべるような、そんな気分になる。


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少しだけど夜遊びもした。ホテルから路面電車で駅前に出て、「杉の子」という老舗のバーに行った。映画「きみの鳥はうたえる」で主人公たちが飲みに行くシーンで使われていたお店だ。洋酒の品揃えが素晴らしく、値段も安いものは本当に安かった。函館の若者はここで洋酒の味を覚えるのだと常連さんが話していた。何を飲んだかはよく覚えていないが、最後に「海炭市叙景」という佐藤泰志の本の名前のカクテルを飲んだことだけは覚えている。スモーキーブルーの色あいがあの本とぴったりだと思った。


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何となくブルージーな函館はこんな感じ。

 

塩水うにと牡丹海老とラッキーピエロ六花亭の喫茶室のすばらしさについては、またいつか、そのうちに。

総括(2018年の夏について)

夏の話をする。この夏はひどく鬱屈としていた。全身が鉛の気流に取り巻かれているみたいだった。遊びもしたし、楽しいこともそれなりにあったけれど、それは重たさを緩和する助けにはならなかった。とにかく何もしたくなかった。ここではないどこかへ行ってしまいたかったし、寝室から一歩も外へ出たくなかった。クーラーを強めにきかせた部屋で、ただ毛布にくるまって、不快な刺激をすべて遮断して、なにも思わず、なにも感じず、浮いているのか沈んでいるのかもわからないような状態でゆらゆらと漂っていたかった。けれど実際には、漂うことも引きこもることも何処かへ行くことも叶わなかった。日々諦めとともに朝を迎え、革靴を履いて仕事へ向かい、深夜に汗だくになって帰宅する。ただひたすらにそのルーティンを繰り返していた。同じような毎日をくるくると周回しながら、螺旋階段を降りるように、次第に沈んでいくのを感じていた。

 

振りはらおうとしていたのかどうか、気がつくと買い物ばかりしていた。冷蔵庫、靴、靴箱、洋服、本棚、眼鏡、イヤホン、それからたくさんの本とさらにたくさんの漫画。特に昔の漫画を大人買いすることが多かった。ムヒョとロージーの魔法律相談事務所めだかボックススラムダンクジョジョ。それらを買うだけ買って読むこともなく、ただメルカリの購入履歴を更新し続けていた。本棚からはあっという間に本があふれ、ベッドは古いジャンプコミックスの塔に取り囲まれた。

僕はそのベッドの上で、新調したイヤホンを耳に刺して丸くなっていた。聴きたい何かを見つけることもできず、ただ自動再生にしたYoutubeを垂れ流していた。始まりは台風クラブのライブ音源かどこかの国の人が勝手にミックスした山下達郎か、そのあたりの何かだったと思う。それからどこをどう巡ったのか、連続再生はいつのまにかくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンにたどり着いていた。耳元で鳴る音楽が急におっさんのトークに切り替わる。なんだろう、と音声に注意を向ける。そしたらこれがまあ、メッタメタ(谷岡ヤスジ)に面白かった。あまりにもどうでもいい会話に膨大な熱量が注がれている。展開と混ぜっ返しがどこまでもスイングする。リスナーがタレントをいじり、タレントがリスナーを煽る。笑っているとあっという間に番組は終わり、連続再生はその次の回を再生する。それが終わるとそのまた次の回を再生する。調べてみると通常放送と復活スペシャル全163回のすべてがアップロードされている。そのことに気づいてから、生活の空き時間にはひたすらそればかり聴いていた。聴いていると重さから自由になれるような気がした。

 

ラジオのおかげか、それとも暑さが峠を超えたからか、8月が終わるころにはかなり大丈夫になっていた。ジャンプタワーも順調に消化し、球磨川禊のカッコつけない「勝ちたい」に涙したり、山王戦の無音のラストに何度目かもわからない涙を流したりしていた。ある週末、昼ごろに目を覚まし、しばしだらだらとまどろんでいると、隣のベッドの彼女も目を覚まし、おなかがすいたね、何か食べにいく?と声をかけてきた。特に食べたいものはなかったし、何より起き上がるのが面倒だった。今日は出かける気がしないなあ、でもお腹はすいたね、ピザでもとろうか?と言って、ふたりでメニューを吟味し、ドミノ・クワトロのパイナップルがのっているピザを注文した。お酒も飲んでしまおか、もうきょうは最高にダラダラしようぜ、きょうの俺たちはワルなんだぜ、といって、冷蔵庫から缶チューハイを持ってきて開けた。ワルなので届いたピザもベッドの上で開封した。ベッドの上にピザがひとつ載せられているというだけで、いつもの寝室がまるで新鮮なものに映った。クーラーの効いた寝室で、冷えたチューハイを飲み、寝転がったままピザを食べ、食べながらジョジョを読んだ。眠くなったら眠り、目を覚ましては続きを読んだ。彼女は同じように寝転がりながら読みさしの小説を読んでいた。楽しいねえ、と声をかけると、楽しいねえ、と返ってきた。事実、ダラダラするのは楽しかった。我々の寝室には時計もなく、窓には厚い遮光カーテンがかかっていた。その日はスマホを手にとることも、パソコンを開くこともなかった。時間の感覚もわからず、誰かと連絡を取ることもなかった。だから、あの日の寝室は、完全に隔絶されていた。あの日の寝室は、どこでもなかった。見知ったここでもないし、知らないどこかでもなかった。すべての関係や文脈から切り離された場所だった。まったく社会的ではない場所だった。ここではないどこかへ行きたい、でもどこにも行きたくない。夏のあいだずっと願っていたことがこんなふうに叶えられるなんて、これっぽっちも思ってなかった。

 

こうして今年の夏は終わった。2018年の夏は、ベッドの上のピザを象徴として記憶されることになる。ピザも驚いていると思うけれど、僕だって驚いている。だからまあ、お互い様ということで許してもらえればと思う。そこそこ長くやっているので、たまにはこういう夏もあるのだ。

夏の子供

すごくだらだらしている。だって夏なので。極度に面倒くさがりで、部屋なんかもうわやくちゃで、洗ったままたたんでない洋服とタオルに囲まれその真ん中で丸まっている。ぐるりと丸い洗濯物はまるで鳥の巣か魔法陣。鳥の巣ならば俺は雛だし、魔法陣なら召喚獣だ。雛を召喚した魔法使いの心境やいかに。魔力と電気は効率的にご利用ください。なんていいつつエアコンをガンガンにかけている。だって暑いもん。としまえんのプールのように部屋をキンキンに冷やし、寒いから毛布をかぶって丸まっている。丸まったままスマホをポチポチしている。海の近くの、景色のいい宿を探したりしている。海に行きたい。静かな宿で、部屋から海を眺めたい。どこにも出かけず、海を眺めて2日くらいぼんやりしたい。海はいい。大きくて静かなのがいい。水面が揺らめいたり音がしたりするのもいい。強い風がふいて沖に白波が立ったりするのもいい。海はいい。

 

それはそれとして海に行った。海辺に住む友達夫婦のところに、子どもが生まれたお祝いに。赤ちゃんは両親どちらにもよく似ていた。正しくハイブリッドだった。まだ首の座らない赤ちゃんを抱かせてもらい、その体温とサイズ感と独特のにおいをしっかりと刻みこんだ。いつか、初めてあったときはまだこんなに小さかったのにね、という話をするとき、きちんと実感を伴って話せるように。ソファに寝そべり、おなかの上に赤ちゃんをのっけてダラダラとくだらない話をしていると、それはもういつまでもどこまでも平和だった。赤ちゃんは平和の象徴だ。鳩なんかよりも、ずっと。

 

夕暮れのころ、みんなで海辺へ行き、シーグラスをひろったり、赤ちゃんと海のはじめての接触を見守ったりした。友達は波打ち際で赤ちゃんを抱きかかえ、その小さなつま先をそうっと波にひたした。赤ちゃんは泣くでも笑うでもなく、神妙ともいえるような顔つきをしていた。なんだか洗礼式みたいだな、と思った。

 


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 日が暮れるまで海で過ごして、それから歩いて駅まで向かった。ちょうど夏祭りの日で、そこかしこに出店が並び、いたるところに中学生くらいの子どもたちがいた。浴衣の女子とTシャツの男子のグループが嬉しそうに恥かしそうにしていたり、マンションとマンションのあいだのよくわからないスペースにDSを持った男子のグループが潜りこんでいたりした。微温い夜風に潮の匂いが混じり街全体が浮かれた空気に包まれて、正しく祭りの夜だった。こういう街で生まれ育つというのはとてもよいものだろうな、と思ったけれど、そういえば彼ら一家は近いうちに引っ越そうとしているのだった。でもどこで育つかなんて実はそんな本質的なことではないのだ。大切なのは、それが他のなににも代えられない経験であるってことだ。そもそも育つなんてのは誰しも一回こっきりの経験で、だから幼いころの思い出はあんなにも鮮烈で特別で、それがどんなに陳腐な場所であったとしても、故郷は特別な存在であり続ける。要するに何が言いたいのかというと、生まれてきて育つ、それだけで特別で最高でかけがえのないことで、だからあとはもう、幸多かれと祈るしかない。どんな人生も特別だけど、せっかくだから、どうせなら、幸多からんことを祈る。健やかであることを祈る。祈る。祈る。祈り続ける。

 

気晴らしに適当なことを

どうも最近よろしくない。悲しいことがあるわけでもなく、楽しいことがないわけでもなく、割と平穏無事にすごしているのだけれど、どうもあんまりよろしくない。いつも疲れていて、くさくさして、だらしなくて、虚ろで。人知れず下水に浮かぶ腐った水死体のような気持ちでいる。水死体に気持ちと呼べるものはあるのだろうか?なったことがないので正確にはわからないけれど、たぶんあるんじゃないかと思う。そもそも人知れず浮かぶ水死体なんて存在するのかもわからない。だって人知れないんだから。シュレディンガーの水死体だ。観測するまではそれが猫か水死体かは確定しない。猫と水死体は重なりあった状態で存在する。つまり猫ゾンビ。筋肉少女帯の歌詞やら大槻ケンヂの小説やらに出てきそう。小説といえばクトゥルフ神話にも猫ゾンビ的なの出てきたな。バステトだったっけ、エジプトの神様みたいなやつ。でもバステトより猫ゾンビって響きのほうが僕は好きだ。だから僕は君を猫ゾンビって呼ぶことにするよ。たぶん呼んでるうちに猫ゾンビからビが取れて猫ゾンになる。語感的には板橋ザンギエフのパチモンみたいになる。そういえば新宿の花園神社の近くにねこ膳って24時間営業の定食屋って名目の飲み屋があって、行ったことは一度もないんだけど、いま一緒に住んでる彼女と初めて会ったとき、明け方にゴールデン街のとこで待ち合わせて電話したらいまねこ膳にいますって言われてじゃあそっち行きますねいえいえ私がそっちに向かうんで、ってなってお互いがお互いのほうに歩いていって花園神社の境内で出くわして始めましてをやったのでした。だからはじまりが水死体の気持ちであってもわしゃわしゃわしゃーっと書き連ねていけば彼女と初めて会ったときの記憶に行きついてほんわ〜っとした心持ちにもなれるわけで、あれもしかして人知れず腐ってる水死体の気持ちってこれ?こんなあったかい気持ちで腐ってんの?こんなあったかい気持ちだから腐っちゃうんじゃないの?それとも腐ってっからあったかいの?なに?発酵?なんてやめてくださいそんな急に問い詰めないでくださいわかんないですほんとわかんないんですだってわたしただのバイトなんですまだ初めて2週間なんですはいそうなんです新米なんですだからそういうのは社員さんに聞いてもらえますか…社員さんもどっかで死んでますんで…あなたもそのうち死にますよ…ここから出られず死にますよ…死んだら最初は試用期間ですから…時給650円ですから…深夜ですか…?さあ…ここじゃ時間もわからないので…何しろ深い深い下水の底の底ですから…仄暗い水の底ですから…水の底には竜宮城がありますから…仙波山には狸がおりますから…それを猟師が鉄砲で撃ちますから…煮ますから…焼きますから…食いますから…あソーレヨイヨイヨイヨイオットットットッ!ヨイヨイヨイヨイオットットットッ!あチュチュンがチュン!あチュチュンがチュン!でーんせーんに!すっずめがっ!3羽とまってたっ!

 

 

適当なことを書きつらねたら少しだけすっきりした。

 

このあいだ、少し早く帰れた日、名前のわからん大ぶりの木の枝を3本買って、円筒形のガラスの花びんに入れて部屋に飾った。ぴかぴかした緑の葉が部屋の隅でわさわさとしてそこだけやたらと生き生きしていた。素直に綺麗だと思った。あやかりたい、と思ったし、一生あんなふうにはなれないままで構わない、とも思った。どちらもほんとうの気持ちだった。

 

枝はまだ部屋の隅でぴかぴかと輝いている。