bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

ウンゲツィーファ「さなぎ」

ウンゲツィーファ「さなぎ」@東中野 驢馬駱駝。

東京は大雪の予報。

 

ぼんやりしている。
例えば夜と朝の間の時間。
まだ暗く、朝とは言えないのだけれど、さっきまでの夜とは明らかに異なっている。
黒だったものが紺になり、次第に群青になっていく。
ゆっくりと、だけど確実に変化している。
もうじき夜は明ける。
明けてしまう。
否応なしに迎えてしまう覚醒の前、最後に残った青い気だるい気配がそこにある。
刻一刻と変化していくのを感じながら、いつまでも何も変わらないみたいな顔をして、道端に座って空を見上げている。

 

どうしようもないことばかり起こる。
真っ暗な山道で飛び出してきた動物を跳ねるとか。
孫がいるような年齢で二回りも年下の女性と付き合っていたら子どもがほしいと言われてえ?だって俺もうすぐ定年なっちゃうよ?なんてつまらないことしか言えなくなっちゃったりとか。
ずっと演劇やってて未来が見えなくて家族の理解もなくて不安で不安で彼女にすがってばかりいたら彼女に一年海外に行くって言われて寂しいけど止められもしないとか。
彼女に寂しいって言ったけど彼女はあんま寂しそうじゃなくて向こうで恋人できたらどうする?って言われてそんなん悲しくて死ぬ、って言ったけどでも好きな人ができるなんてそれ自体はどこにいたって止めようもなくてどうしようもないよなって思う、とか。
世の中には(つうか俺たちには)そういう仕方ないことがたくさんある。
何も出来ない。
どうしたらいいのかも、どうしたいのかもわからない。

 

わからないのは誠実だからだ。
これだけは胸を張って言える。
俺は(私は)ずっと誠実なままでいる。
何に?自分の気持ちに。
私は誰も傷つけたくない。
自分だって傷つきたくない。
だから何もかもが上手くいく完璧なハッピーエンドじゃないと少なくとも積極的には受け入れられない。
でも私は馬鹿でも世間知らずでもないから、そんなのは望んでも得られないってわかってる。
だから動けない。
何もできない。
布団の中で、できるだけ温かくいられる姿勢で、じっとしていることしかできない。

 

布団の中で、物事は繋がっていく。
不安は不安と接続していく。
距離や時間は障壁にならない。
イメージの世界ですべては繋がっていく。
イメージがイメージを呼ぶ。
こことそこの境目がゆらぎ、いまといつかが同じになる。

 

決着の予感がする。
いつか夜は明ける。
いつか夢は覚める。
1年経てばビザは切れるし、懐妊を知らせる電話は急にかかってくる。
決着の瞬間はいつか必ず訪れる。
訪れたら、決めなくたって決まってしまう。
線が引かれたとき、その瞬間に立っていた方を選んだことになってしまう。
私は何も選んでいないのに、選んだことになってしまう。
私はそれを知っている。
いつか訪れると知っていながら、同時に「いつか」と「いつまでも」の違いについてはどこまでも鈍感でいる。

 

地球の回転に逆らって飛ぶ飛行機に乗り、夜と朝の境目を飛び続けることを夢想する。

いつまでも終わらない、ただひたすらにやさしい朝焼けの景色のことを。

 

9階からのエレベーターを降り、外に出るとちらりちらりと小さな雪の粒が舞っていた。

空気は冷たく張り詰めていたけれど、積もるような感じはまるで無かった。

 

それから西荻の見晴料理店に行き、食事をしながらビールを飲んだ。

お芝居の余韻に浸るあまり、黙りこんでただただビールを飲む機械となってしまい、彼女の機嫌を損ねてしまったり、前菜のひとつで出てきた鮭ハラスの西京焼きがあまりに美味しくてわがままを言ってそれだけを焼いてもらったりした。

店内に流れるソウルシンガーの歌声が少し桑田佳祐に似ていて、サザン…?あ、違うか、というくだりを4回くらいやった。

 

凍りそうな帰り道、さっきは何を考えていたの?と聞かれた。

僕は、わからない、と答えた。

わからないことを、うっかりわかってしまうことのないよう、慎重に慎重に考えていた、というのが本当のところだったのだけれど、そんなふうに正確に答えようとするのがなんだか貧相な行いに思えた。

わからないままでいたかった。

家に続く道の街灯が新しくなっていて、真夜中の景色は夕暮れのような色に染められていた。

雪は相変わらず積もらない程度に降り続いていた。

 

 

 

 

 

函館

9月の夏と秋の境目のころ、函館に行った。佐藤泰志の本と映画に影響されての旅だった。函館はよく晴れて、海風が強く吹いていた。空はどこまでも青く、海はさらに青かった。街には人影がなく、地震のせいで観光客が来ないのだ、とタクシーの運転手が教えてくれた。

 

函館は海と山に囲まれた街である。北に山、東西と南に海があり、南の海辺には砦のように函館山が構えている。海辺には堤防のようなものはなく、道と同じ高さで海が見える。高い建物も少ないので、市内のどこからでも函館山が見える。遮るもののない空はどこまでも広く、海とつながってひとつになるところまでを見通すことができる。建物はなぜだかやたらと四角く重厚で、どこか厳粛な雰囲気がある。街は狭く、少し移動すればすぐに海か山に行き当たる。どこまでも開けている開放感と、どこにも行けない閉塞感が同居している。だから、この街を歩いていると、諦めながら微笑みを浮かべるような、そんな気分になる。


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少しだけど夜遊びもした。ホテルから路面電車で駅前に出て、「杉の子」という老舗のバーに行った。映画「きみの鳥はうたえる」で主人公たちが飲みに行くシーンで使われていたお店だ。洋酒の品揃えが素晴らしく、値段も安いものは本当に安かった。函館の若者はここで洋酒の味を覚えるのだと常連さんが話していた。何を飲んだかはよく覚えていないが、最後に「海炭市叙景」という佐藤泰志の本の名前のカクテルを飲んだことだけは覚えている。スモーキーブルーの色あいがあの本とぴったりだと思った。


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何となくブルージーな函館はこんな感じ。

 

塩水うにと牡丹海老とラッキーピエロ六花亭の喫茶室のすばらしさについては、またいつか、そのうちに。

総括(2018年の夏について)

夏の話をする。この夏はひどく鬱屈としていた。全身が鉛の気流に取り巻かれているみたいだった。遊びもしたし、楽しいこともそれなりにあったけれど、それは重たさを緩和する助けにはならなかった。とにかく何もしたくなかった。ここではないどこかへ行ってしまいたかったし、寝室から一歩も外へ出たくなかった。クーラーを強めにきかせた部屋で、ただ毛布にくるまって、不快な刺激をすべて遮断して、なにも思わず、なにも感じず、浮いているのか沈んでいるのかもわからないような状態でゆらゆらと漂っていたかった。けれど実際には、漂うことも引きこもることも何処かへ行くことも叶わなかった。日々諦めとともに朝を迎え、革靴を履いて仕事へ向かい、深夜に汗だくになって帰宅する。ただひたすらにそのルーティンを繰り返していた。同じような毎日をくるくると周回しながら、螺旋階段を降りるように、次第に沈んでいくのを感じていた。

 

振りはらおうとしていたのかどうか、気がつくと買い物ばかりしていた。冷蔵庫、靴、靴箱、洋服、本棚、眼鏡、イヤホン、それからたくさんの本とさらにたくさんの漫画。特に昔の漫画を大人買いすることが多かった。ムヒョとロージーの魔法律相談事務所めだかボックススラムダンクジョジョ。それらを買うだけ買って読むこともなく、ただメルカリの購入履歴を更新し続けていた。本棚からはあっという間に本があふれ、ベッドは古いジャンプコミックスの塔に取り囲まれた。

僕はそのベッドの上で、新調したイヤホンを耳に刺して丸くなっていた。聴きたい何かを見つけることもできず、ただ自動再生にしたYoutubeを垂れ流していた。始まりは台風クラブのライブ音源かどこかの国の人が勝手にミックスした山下達郎か、そのあたりの何かだったと思う。それからどこをどう巡ったのか、連続再生はいつのまにかくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンにたどり着いていた。耳元で鳴る音楽が急におっさんのトークに切り替わる。なんだろう、と音声に注意を向ける。そしたらこれがまあ、メッタメタ(谷岡ヤスジ)に面白かった。あまりにもどうでもいい会話に膨大な熱量が注がれている。展開と混ぜっ返しがどこまでもスイングする。リスナーがタレントをいじり、タレントがリスナーを煽る。笑っているとあっという間に番組は終わり、連続再生はその次の回を再生する。それが終わるとそのまた次の回を再生する。調べてみると通常放送と復活スペシャル全163回のすべてがアップロードされている。そのことに気づいてから、生活の空き時間にはひたすらそればかり聴いていた。聴いていると重さから自由になれるような気がした。

 

ラジオのおかげか、それとも暑さが峠を超えたからか、8月が終わるころにはかなり大丈夫になっていた。ジャンプタワーも順調に消化し、球磨川禊のカッコつけない「勝ちたい」に涙したり、山王戦の無音のラストに何度目かもわからない涙を流したりしていた。ある週末、昼ごろに目を覚まし、しばしだらだらとまどろんでいると、隣のベッドの彼女も目を覚まし、おなかがすいたね、何か食べにいく?と声をかけてきた。特に食べたいものはなかったし、何より起き上がるのが面倒だった。今日は出かける気がしないなあ、でもお腹はすいたね、ピザでもとろうか?と言って、ふたりでメニューを吟味し、ドミノ・クワトロのパイナップルがのっているピザを注文した。お酒も飲んでしまおか、もうきょうは最高にダラダラしようぜ、きょうの俺たちはワルなんだぜ、といって、冷蔵庫から缶チューハイを持ってきて開けた。ワルなので届いたピザもベッドの上で開封した。ベッドの上にピザがひとつ載せられているというだけで、いつもの寝室がまるで新鮮なものに映った。クーラーの効いた寝室で、冷えたチューハイを飲み、寝転がったままピザを食べ、食べながらジョジョを読んだ。眠くなったら眠り、目を覚ましては続きを読んだ。彼女は同じように寝転がりながら読みさしの小説を読んでいた。楽しいねえ、と声をかけると、楽しいねえ、と返ってきた。事実、ダラダラするのは楽しかった。我々の寝室には時計もなく、窓には厚い遮光カーテンがかかっていた。その日はスマホを手にとることも、パソコンを開くこともなかった。時間の感覚もわからず、誰かと連絡を取ることもなかった。だから、あの日の寝室は、完全に隔絶されていた。あの日の寝室は、どこでもなかった。見知ったここでもないし、知らないどこかでもなかった。すべての関係や文脈から切り離された場所だった。まったく社会的ではない場所だった。ここではないどこかへ行きたい、でもどこにも行きたくない。夏のあいだずっと願っていたことがこんなふうに叶えられるなんて、これっぽっちも思ってなかった。

 

こうして今年の夏は終わった。2018年の夏は、ベッドの上のピザを象徴として記憶されることになる。ピザも驚いていると思うけれど、僕だって驚いている。だからまあ、お互い様ということで許してもらえればと思う。そこそこ長くやっているので、たまにはこういう夏もあるのだ。

夏の子供

すごくだらだらしている。だって夏なので。極度に面倒くさがりで、部屋なんかもうわやくちゃで、洗ったままたたんでない洋服とタオルに囲まれその真ん中で丸まっている。ぐるりと丸い洗濯物はまるで鳥の巣か魔法陣。鳥の巣ならば俺は雛だし、魔法陣なら召喚獣だ。雛を召喚した魔法使いの心境やいかに。魔力と電気は効率的にご利用ください。なんていいつつエアコンをガンガンにかけている。だって暑いもん。としまえんのプールのように部屋をキンキンに冷やし、寒いから毛布をかぶって丸まっている。丸まったままスマホをポチポチしている。海の近くの、景色のいい宿を探したりしている。海に行きたい。静かな宿で、部屋から海を眺めたい。どこにも出かけず、海を眺めて2日くらいぼんやりしたい。海はいい。大きくて静かなのがいい。水面が揺らめいたり音がしたりするのもいい。強い風がふいて沖に白波が立ったりするのもいい。海はいい。

 

それはそれとして海に行った。海辺に住む友達夫婦のところに、子どもが生まれたお祝いに。赤ちゃんは両親どちらにもよく似ていた。正しくハイブリッドだった。まだ首の座らない赤ちゃんを抱かせてもらい、その体温とサイズ感と独特のにおいをしっかりと刻みこんだ。いつか、初めてあったときはまだこんなに小さかったのにね、という話をするとき、きちんと実感を伴って話せるように。ソファに寝そべり、おなかの上に赤ちゃんをのっけてダラダラとくだらない話をしていると、それはもういつまでもどこまでも平和だった。赤ちゃんは平和の象徴だ。鳩なんかよりも、ずっと。

 

夕暮れのころ、みんなで海辺へ行き、シーグラスをひろったり、赤ちゃんと海のはじめての接触を見守ったりした。友達は波打ち際で赤ちゃんを抱きかかえ、その小さなつま先をそうっと波にひたした。赤ちゃんは泣くでも笑うでもなく、神妙ともいえるような顔つきをしていた。なんだか洗礼式みたいだな、と思った。

 


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 日が暮れるまで海で過ごして、それから歩いて駅まで向かった。ちょうど夏祭りの日で、そこかしこに出店が並び、いたるところに中学生くらいの子どもたちがいた。浴衣の女子とTシャツの男子のグループが嬉しそうに恥かしそうにしていたり、マンションとマンションのあいだのよくわからないスペースにDSを持った男子のグループが潜りこんでいたりした。微温い夜風に潮の匂いが混じり街全体が浮かれた空気に包まれて、正しく祭りの夜だった。こういう街で生まれ育つというのはとてもよいものだろうな、と思ったけれど、そういえば彼ら一家は近いうちに引っ越そうとしているのだった。でもどこで育つかなんて実はそんな本質的なことではないのだ。大切なのは、それが他のなににも代えられない経験であるってことだ。そもそも育つなんてのは誰しも一回こっきりの経験で、だから幼いころの思い出はあんなにも鮮烈で特別で、それがどんなに陳腐な場所であったとしても、故郷は特別な存在であり続ける。要するに何が言いたいのかというと、生まれてきて育つ、それだけで特別で最高でかけがえのないことで、だからあとはもう、幸多かれと祈るしかない。どんな人生も特別だけど、せっかくだから、どうせなら、幸多からんことを祈る。健やかであることを祈る。祈る。祈る。祈り続ける。

 

気晴らしに適当なことを

どうも最近よろしくない。悲しいことがあるわけでもなく、楽しいことがないわけでもなく、割と平穏無事にすごしているのだけれど、どうもあんまりよろしくない。いつも疲れていて、くさくさして、だらしなくて、虚ろで。人知れず下水に浮かぶ腐った水死体のような気持ちでいる。水死体に気持ちと呼べるものはあるのだろうか?なったことがないので正確にはわからないけれど、たぶんあるんじゃないかと思う。そもそも人知れず浮かぶ水死体なんて存在するのかもわからない。だって人知れないんだから。シュレディンガーの水死体だ。観測するまではそれが猫か水死体かは確定しない。猫と水死体は重なりあった状態で存在する。つまり猫ゾンビ。筋肉少女帯の歌詞やら大槻ケンヂの小説やらに出てきそう。小説といえばクトゥルフ神話にも猫ゾンビ的なの出てきたな。バステトだったっけ、エジプトの神様みたいなやつ。でもバステトより猫ゾンビって響きのほうが僕は好きだ。だから僕は君を猫ゾンビって呼ぶことにするよ。たぶん呼んでるうちに猫ゾンビからビが取れて猫ゾンになる。語感的には板橋ザンギエフのパチモンみたいになる。そういえば新宿の花園神社の近くにねこ膳って24時間営業の定食屋って名目の飲み屋があって、行ったことは一度もないんだけど、いま一緒に住んでる彼女と初めて会ったとき、明け方にゴールデン街のとこで待ち合わせて電話したらいまねこ膳にいますって言われてじゃあそっち行きますねいえいえ私がそっちに向かうんで、ってなってお互いがお互いのほうに歩いていって花園神社の境内で出くわして始めましてをやったのでした。だからはじまりが水死体の気持ちであってもわしゃわしゃわしゃーっと書き連ねていけば彼女と初めて会ったときの記憶に行きついてほんわ〜っとした心持ちにもなれるわけで、あれもしかして人知れず腐ってる水死体の気持ちってこれ?こんなあったかい気持ちで腐ってんの?こんなあったかい気持ちだから腐っちゃうんじゃないの?それとも腐ってっからあったかいの?なに?発酵?なんてやめてくださいそんな急に問い詰めないでくださいわかんないですほんとわかんないんですだってわたしただのバイトなんですまだ初めて2週間なんですはいそうなんです新米なんですだからそういうのは社員さんに聞いてもらえますか…社員さんもどっかで死んでますんで…あなたもそのうち死にますよ…ここから出られず死にますよ…死んだら最初は試用期間ですから…時給650円ですから…深夜ですか…?さあ…ここじゃ時間もわからないので…何しろ深い深い下水の底の底ですから…仄暗い水の底ですから…水の底には竜宮城がありますから…仙波山には狸がおりますから…それを猟師が鉄砲で撃ちますから…煮ますから…焼きますから…食いますから…あソーレヨイヨイヨイヨイオットットットッ!ヨイヨイヨイヨイオットットットッ!あチュチュンがチュン!あチュチュンがチュン!でーんせーんに!すっずめがっ!3羽とまってたっ!

 

 

適当なことを書きつらねたら少しだけすっきりした。

 

このあいだ、少し早く帰れた日、名前のわからん大ぶりの木の枝を3本買って、円筒形のガラスの花びんに入れて部屋に飾った。ぴかぴかした緑の葉が部屋の隅でわさわさとしてそこだけやたらと生き生きしていた。素直に綺麗だと思った。あやかりたい、と思ったし、一生あんなふうにはなれないままで構わない、とも思った。どちらもほんとうの気持ちだった。

 

枝はまだ部屋の隅でぴかぴかと輝いている。

 

 

4月と5月のモロモロ

今年に入ってからというもの、風邪ばかり引いている。年始に発熱。3月にインフル。治りかけて気管支炎。繁忙期を半死半生で過ごし回復したのは4月の終わり。5月の連休はがっつり遊んで、休み明けにまたしても風邪、咳と悪寒にゲホゲホガタガタ苦しみながら仕事をこなし、治ったかと思いきや今度は副鼻腔炎で発熱、全部の体調不良がどっかいったのは今週に入ってからのこと。はー長かった、と思ったら今度は彼女がきっつい風邪をひいた。たぶん僕から感染ったのだろう。でも僕のひいていた風邪だってもとをたどれば彼女から感染ったものだ。我々は風邪をキャッチボールしている。差しつ差されつ風邪をやっている。

 

風邪を引きつつ仕事をしつつ、何だかんだで色々と楽しんでもいる。覚えてるだけダラダラと書き出してみる。

 

ままごと「ツアー」@KAAT。

いきなり最高だった。深いレベルの共感があった。そうなんだよね、幸福も不幸もなく、ただ出来事だけがあり、我々はそれをただ受け入れ、味わうしかない。「ご賞味!ぜんぶ、ぜんぶ、ご賞味!」とカタコトでいう端田新菜さんが本当に本当に素晴らしかった。フィルターなしでむき出しで世界に向き合っているようなあの雰囲気はどうやったら出せるのだろう。それでいて繊細さも感じる。めっちゃ繊細な関西のおばちゃんみたいな、アメちゃん配りつつ誌のひとつも諳んじてみせるような、そんな感じ。ままごとは去年から見る公演すべて大当たり。自分にとっていま一番しっくりくる劇団だ。

 

小沢健二「春の空気に虹をかけ」@国際フォーラム、@武道館×2

たーのーしーかったー!!!!ボーカリストとしての小沢健二は今が全盛期なのではなかろうか。若いころより声が出てる。国際フォーラムと武道館初日は砂かぶり席中央一桁番台、武道館二日目は二階席。間近でみる小沢健二はなんかお肌もツヤツヤとして、あれ?若返った?なんかやたらとウキウキしてるし、恋でもしてんの?という感じ。満島さんはとにかくキュートでした。「ぼくらが旅に出る理由」のPVコピーとか、「流星ビバップ」のときのジャケットのポッケに手を入れたままのステップとか、泣きそうになるくらい素敵だった。36人編成ファンク交響楽団によるヒット・ソング・メドレーは多幸感でブチ上がりすぎて毎度2時間があっというま。でもほんとにグッときたのは、「東京恋愛専科」に合わせて通路で踊る3歳くらいの女の子の笑顔だったり、ずっと座っていたのにアンコールの「ドアをノックするのは誰だ?」でついに立ち上がってドアノック・ダンスを踊る中年男性二人組みの姿だったり、魔法的電子回路でぐるり一面キラキラに光ってる武道館の客席だったりする。

ただ、去年のツアーでやった大傑作新曲群を聴けなかったのが心残り。「飛行する君と僕のために」は、「超越者たち」は、「その時、愛」は、次はいつ聴けるのでしょう。気長に待つからいいけどさ。待つのは馴れてるからさ。

 

ナカゴー「まだ気づいてないだけ」@町屋ムーブ

予告されたことが起こる、ってなんでこんなに面白いんだろう。「これからこうなりますよ」と展開をすべて説明され、その通りに話は進み、いざその場面を迎えると吐くほど笑ってしまう。裏切りは一切ない。水戸黄門の印籠とか志村の変なおじさんとか、「わかってる展開が起きることの嬉しさ」ってのは本能に近い部分にある快感なのだと思う。あと、あまりにも無茶苦茶に転がっていくお話に対する補助線としての役割も大きいのだろな。予告なしで見てたらポカーンとしてしまうような展開ばかりだもの。

 

「権太楼噺 爆笑十夜」@鈴本演芸場

毎年恒例、初夏の権太楼噺。文蔵師匠や菊之丞師匠もよかったけれど、お目当ての権太楼師匠がとにかく素晴らしかった。ぼくは権太楼師匠のやる旦那とおかみさんの威勢のいいくだらないやり取りが本当に本当に好きで、あれ聴いてゲラゲラ笑ってると時間の感覚を失ってしまうときがある。過去や未来がなくなって、「いま」だけになって、そのうちに「いま」すら消えて、笑ってるうちこのまま末期を迎えるのではないか、笑いすぎて泡のようにはじけて消えてしまうんじゃないか、そんなふうに思ったりする。この日の「火焔太鼓」はダミ声婆あとしょぼくれ爺いの罵り合い(イチャつきとも言う)を思う存分楽しめる最高の演目であった。これからも本寸法に寄りすぎることなく、婆あの了見を究め尽くしていただきたいものです。夏の特別興行も行くぞ。

 

立川志の輔仮名手本忠臣蔵」「中村仲蔵」@赤坂ACTシアター

流石の名演だったけれど、妙に笑いたがるお客さんに左右を挟まれてしまい、彼らがしんみりさせる場面で声だして笑うのでいらついて仕方なかった。あといちいち声だして相づち打つのも辛かった。こういうときの対処法の正解がいまだにわからない。静かにしてもらえますか、なんて声かけるのもしんどいし。いっそ蟹でもサービスしたらよいのだろうか。こちらよろしければ、つって毛蟹の茹でたのでも渡しとけば身をほじるのに集中して静かになったりするだろうか。でもほじらずに殻ごとしゃぶるタイプだったらとなりでチュバチュバいう水音を聴き続ける羽目になるわけで、もうほんとどうしたらよいのだろう。誰か正解を教えてください。

 

FUKAIPRODUCE羽衣「春母夏母秋母冬母」@吉祥寺シアター

我々はみなメシを食いセックスをして糞をして寝る。その繰り返しにはときおり深い愛や強い憎しみが混ざる。そして万人に平等に時は流れ、老いさらばえて(あるいはそれすらも適わず)死んでいく。そのすべてを包摂し、そのすべてと関わりなく、宇宙が、世界がある。すべてのものは、ただ存在する。それが堪らなく愛おしい。

セックスを題材にしようが、死を題材にしようが、母を題材にしようが、羽衣のやっていることは基本的に変わらない。みっともなさと美しさを等価に見つめ、愛する。ジョージ秋山と同じことをミュージカルでやってる。ちなみに、ジョージ秋山と同じ、というのはぼくにとって滅茶苦茶な褒め言葉である。

 

きょうは彼女が家におらず、久々に一日を無言で過ごしている。そのせいか、やたらと長い文章を書いてしまった。普段はこのくらいの分量×二人分を会話の中で発散しているわけで、もし誰かがぼくらの食事の中にコエカタマリンを混ぜたりしたら、さほど広くもないこの部屋はあっという間に満杯になってしまうことだろう。固まった発話は袋に入れて、口を固く縛って燃えるゴミの日に捨てる。うるさいと迷惑になるので夜のうちに捨てるのは禁止されている。お気に入りの発話だけは、捨てずにそのままとっておいたりもする。でも我々はずぼらなので、テプラで日付やシチュエーションを貼り付けておいたりはしないし、アルバムにファイルしたりもしない。ただ寝室の窓辺なんかに適当に置いとくだけで、そのうちに文脈を忘れてしまう。で、たまの掃除のときに持ち上げたりなんかして、ねえ、この「わに」って何でとっておいてんだっけ?なんてハタキ片手に尋ねるのだ。なんだっけね、思い出せんね、どうする?捨てる?まあいいんじゃん、別に邪魔にはなってないし。そんな感じでよくわからない発話はいつまでもそこにある。そんな感じで毎日をやっている。

 

若葉のころ

密集した木造住宅と細く曲がりくねった路地とで名高い我が区だけれど、いま住んでいるあたりの道はやたらとまっすぐ伸びている。引っ越しのときに不動産屋から聞いた話によると、明治のころのこのあたりの村長さんが先見の明があるひとだったそうで、いくつかに別れていた村落をまとめ上げて区画整理はするわ駅は作るわ特産品は作るわ八面六臂の大活躍で、このあたりの道がすーんとまっすぐなのはすべてその人のおかげらしい。我が家の大家さんはその子孫で、そのご自宅はとにかく広く、豪邸というわけではないのだがどことなく威厳のようなものがある。偉かったというその村長さんの偉さが家やら土地やらに染み付いているような気がする。しかし偉さというのは猫や幽霊のように家につくようなものなのだろうか。偉さが憑いた家の中では人はどのように暮らすのだろうか。影響されて尊大になるのか、圧倒されて卑屈になるのか、どちらなんだろう。いつか大家さんに会うことがあったらよーく観察してみようと思う。

 

連休の中日の朝、サンダルを突っかけて家を出る。近所の薬局まで、咳止めを買いに行く。空は晴れわたり、日差しにはほんの少し夏の気配が漂う。まっすぐな道の向こうには、大きな欅がツヤツヤと深緑色を光らせている。休日の朝らしく、駅に向かって色々な人が歩いている。歩くスピードは属性に由来しているように見える。お年寄りはお年寄りの速度で、若者は若者の速度で。ホテホテと歩く自分はその中間の速度帯に属し、若者には追い抜かれ、お年寄りは追い抜くことになる。家族連れは子どもの年齢による。ベビーカーを押す人はゆっくりだし、ひとりでに走り出す年ごろの子どもを持つ両親は駆け足で後を追う。ひときわのんびり歩いていたのは男の子を肩車した父親で、あれは何歳くらいなのだろう、男の子の小さな身体は父親の肩と後頭部にぴったりとはめ込まれている。カンガルーが袋で子育てをするようにニンゲンのオスは後頭部で子育てをするのです、なんて説明をしたら信じる人もいるかもしれないくらいにぴったりとはめ込まれている。肩車の親子を追い抜きながら、その高さに驚く。肩車されている男の子の目線は、身長に換算すればたぶん2メートルの人のそれと同じくらいなのではなかろうか。その高さからは街並みはどのように見えるのだろう。男の子は、いま見えている景色のことを、はたしていつまで覚えていられるのだろう。

 

昨日は友達と飲んでいた。一軒目でたっぷりと飲んだ後、駅前の西友に行き、千円の椅子を買って公園に行った。川沿いに椅子を並べて、街頭に照らされた桜の葉が薄ぼんやりと光るのを眺めながらバドワイザーを飲んだ。満島ひかりや映画の話をし、それから中学生のような下品な冗談で笑った。公園の周りは住宅街なので、迷惑にならぬよう声を潜めて大いに笑った。もう間もなく父親になる、ひと回りも年下の友人に、もう間際だね、なにか変わった?と尋ねると、わかんないすね、生まれてみないとわかんないすよ、と言う。何事もそんなもんなのかもしれんね、とふわふわした返事をし、バドワイザーを飲む。久々に飲むバドワイザーは全身をつらぬく不味さで、これ滅茶苦茶不味くない?と口に出すと、言い出しにくかったんすけど僕もそう思ってました、とくる。しかし他のビールを買いに行くのも面倒くさく、ブチブチと不平を言いながら、我々はそのままバドワイザーを飲み続けた。安い折りたたみの椅子に座り、静まりかえる木々と住宅街を眺め、夜風に吹かれて飲むビールは本当に最高だったけれど、味だけが最高に最低で、それがなんだかおかしくて、声を抑えてゲラゲラと笑った。こんだけ不味いビールが楽しいんだから何があってもまあどってこたないよな、と思ったけれど、なんとなく口には出さなかった。見上げると、満月より少し欠けた月が、欠けた分を補うような明るさで地上を照らしていた。

 

咳止めと頭痛薬を買って家に帰ると、ちょうど彼女も起きたところだった。お茶をいれ、フランボワーズクリームを挟んだソフトフランスがひとつだけあったので、半分に折って分け合って食べた。薬を飲んで仕事に向かう彼女を見送ったらなんとなく横になりたくなって、居間にそのまま寝転がった。このまま眠ってしまうかもしれないな、と思ったけれど、それならそれで別によかった。とにかくいまは連休なのだから、連休に身を委ねてしまえば、あとはもうそれでよいのだった。