bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

雑記

今週の平日が終わった。相変わらず忙しい。ちょっとずつ忙しいのに慣れてきた。鈍感になってきた。細かいことを考えたり、風景を面白く感じたり、そういう場面が少なくなってきた。良く言えば仕事に集中できている、ということだし、悪く言えば人生の楽しみを失っている、ということになる。嫌すぎる。仕事に集中なんてしたくない。仕事のギアは常にローに入れときたい。生産性はできるだけ低くしたい。ひとに怒られないくらいの最低限の仕事だけをして、あとは調べものと見せかけてWikipediaで関東の私鉄の歴史を学んだり、Excelで資料を作成してると見せかけて超人強度100万パワーのウォーズマンが1200万パワーの光の矢になるために用いた計算式を関数で打ち込んだりして過ごしたい。いかにも会社ーッて感じのオフィスで机に座ってスーツ着て仕事をしてる自分がいる、そのことのおかしさに急に気づいてひとり肩を震わせて笑ったりしたい。ほんでまあ特に出世もしないがクビにもならず、役にはたたんがなんとなく憎めないオッサンとして末永く余生を過ごしたい。そう、余生でいいのだ。職場の俺は余生でいい。昼間のパパはちょっと違う。昼間のパパは余生だぜ。

 

なんの脈絡もなくドキュメント72時間について希望を述べるのだけれど、頼むから欲を出さないでほしい、と思う。何かしらの「特別な瞬間」を撮影しよう、などと考えないでほしい。ドキュメント72時間は、ニュース番組のアンチテーゼなのだと思っている。特別なことではなく、普通のことをお知らせするニュース番組。こんなに悪いことが起こりました、こんなにおめでたいことがありました、それはそれで大切だけれど、そればかり見ていると感覚が狂ってしまう。普通の人がいます、普通の人が沢山います、特別なことはないけれど、毎日それなりに嬉しかったり悲しかったり何かを考えたり思い出したりしながら暮らしています。そういうことを、頭ではなく、感覚として理解する。多様な普通が無数に存在するということ、それこそが普通であるということを体感する。そういう光景を美しいと感じることもあるけれど、それはたぶん副次的に得られるオマケみたいなもので、最初からそれを狙っていくのは違うのだと思う。

 

tofubeatsの曲が頭の中でループし続けている。ドキドキはいま以上、baby、君だけを見て、君だけを見て、導かれる、導かれる、ナナナナ。いい曲だ。ぼんやりとして、うわっついて、穏やかで。ドキドキはいま以上、君だけを見て、導かれる、導かれる。珍しいハンミョウを見つけたときのファーブルみたいでもある。ハンミョウは別名をミチオシエといい、観察者のちょっと先を道案内するように飛ぶ習性があるのだ。子どもの頃に読んだファーブル昆虫記にたしかそう書いてあった。ファーブルは昆虫記で、シートンは動物記で、植物記とか魚類記とかは特に誰も書いてはいなかったように記憶している。なぜだろう。観察して記録する種類のひとはもっとたくさんいたはずだと思うのだけれど、みんな何をしていたのだろうか。本はあれども書名がフォーマットに沿っていない、それが問題なのかも知れない。だとすれば、例えば「解体新書」は「杉田玄白人体記」であるべきだし、「日本全図」は「伊能忠敬海岸線記」であるべきだ。べきなのかな。どうだろ。どうなんだろ。なんかよくわかんねえな。

 

夢を見た。PPAPよりも以前からアップルとパイナップルをモチーフにした作品を撮り続けている老いたフォトグラファーについての夢だった。何らかの映画の舞台挨拶か、アートフェスのオープニングの特別対談か、そんな感じの舞台だった。なぜアップルとパイナップルなのか、ですか、そうですね、最初はやはり語呂合わせです。語呂合わせが初めにあって、並べてみたら、色や大きさの対比が面白いと思った。それが一番最初です。そうして写真を撮り始めて、あるところで気がついたんです。この2つの果実は、わたしの心の形そのものなのだと。小さく引き締まって緊張感のある、ツヤツヤとした赤い塊。それから必要以上に大きくあろうとする、刺々しくだらしなく濁った黄色い塊。2つの塊が、左胸と右胸、ここにひとつずつあるんです。ですからこれらの写真はすべて、果物でありつつ、セルフポートレートでもあるわけです。この作品はですね、スライスした食パンに、こちらもスライスしたアップルとスライスしたパイナップルを載せたものです。パン・アップル・パイナップルです。こちらの写真の、この銀色の玉はですね、丸のままのアップルに、アップルが見えなくなるまで針を刺していったものです。アップルに痛みを与えたかったんです。ペイン・アップル・パイナップルですね。こっちはですね、見ただけではわかりませんが、アップルの中をくり抜いて、豚肉を詰めています。ピーマンの肉詰めのような状態です。つまりポーク・イン・アップル・パイナップルですね。老写真家の独白は延々と続く。大真面目に解説し最後はダジャレで落とす、この芸風はケーシー高峰と同じではないか。夢の中の僕はその発見に興奮し、それを共有してくれる相手を探していた。残念ながら夢の中では誰にも伝えられなかったので、ここにひっそりと書いておくことにする。

 

 

 

ムーンライト

仕事をしていても、街を歩いていても、気がつけばムーンライトのことを考えている。

考えている、というのは正確ではない。何かを考えているわけではない。わからないことは何もない。少なくとも、自分がわかっていたいことはすべてわかっていると思う。

ただ浸っている。あの美しい世界のことを思い、目を閉じ、あの色彩の中に耽溺している。世界を覆う蒼い光。物憂げで哀しくて思慮深い、あの瞳の色。尖らせた口元に漂う、あの寂しさ。いまにも壊れてしまいそうな透き通ったピュアネスを、どこまでも柔らかく、優しく包みこむ、あの夜の海の色。あのブルーの中をいつまでも漂っている。ゆらゆらとどこまでも沈んでいくように、息をすることも忘れて。

 

昼間、内田樹村上春樹を評した文章を読んだ。「羊をめぐる冒険」について、チャンドラーの「ロング・グッドバイ」やフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」なんかと同じ、通過儀礼としてのイノセントの喪失を描いた物語だ、と語っていた。我々の社会からは大人になるための通過儀礼が失われているから、「羊をめぐる冒険」のような構造を持った物語は生まれにくくなっている。そんなことが書いてあった。 

イノセントの喪失。それはいったいどういうことなのだろう。僕にはよくわからない。通過儀礼を経て失われてしまうもの、それをイノセントと呼ぶのだとして、僕にはどうも、そのイノセントこそ僕そのものなのではないかという気がしてならないのだ。通過儀礼を経て、何かを失って大人になって、そうしてそこに残った僕は、はたして本当に僕なのだろうか?イノセントを失った僕は、あの蒼い光の中に立つことができるだろうか?

 

通過儀礼とはなんだろう?「強くなければ生きられない」が真であるとして、「強い」とはどういうことだろう?映画の中、シャロンは強くなった。筋骨隆々のギャングの顔役になった。男は強くなければ生きられない、まさに「ロング・グッドバイ」だ。では、強くなったシャロンはイノセントを喪失しているだろうか?シャロンは本当に「強く」なったのか、そもそも「強くなければ生きられない」とは本当なのだろうか?

イノセント。純粋さ。繊細な感受性。美しいものやほんとうのこと以外を受けつけない、強情なまでの潔癖さ。いつも擦りむいた傷口をむき出しにしているような、傷つきやすいナイーヴな心。成長するにつれ、あるものはそれを克服し、またあるものはそれを喪失する。しかし、それを抱え続けざるを得ないようなタイプの人間もいる。それこそが自分自身だと思ってしまうような人間。それを覆い隠すことはできても、それを失って生きていくということを想像することもできないようなタイプの人間。わたしや、あなたや、シャロンのような。

 

眼を閉じる。波間に浮かぶ身体を思う。支えられているのを感じる。声を聴く。強く優しい声が、自分が地球の中心にいるのを感じろ、と語りかけてくる。波が身体を優しく揺さぶる。包まれている。海と、夜と、月の蒼い光。どこかにケヴィンがいる。この世界のどこかに、わたしにとってのケヴィンがいる。いちばんきれいで、とても壊れやすいものを分かちあえる相手。波間に浮かぶわたしを見つめたまま、わたしはゆっくり上昇していく。世界の美しさを思う。どこまでも優しい世界。哀しみと愛がすべてをブルーに包みこむ。蒼く染まるわたしを見ながら、そういうふうにできているのだ、と肌で感じる。

 

眼を開ける。頬をつたう涙をぬぐう。ゆっくりと首をまわし、眼にうつるものを眺める。いつもと変わらない景色が、蒼く染められているのを感じる。いままでもそうだったし、これからもそのようにあり続ける。月がすべてを照らす限りは。

 

 

 

 

 

一週間の備忘録

ここ一週間の備忘録を簡単に。

 

ネットフリックスで火花を一気に見た。泣いた。理想化された笑い飯と千鳥であり、理想化された大悟と又吉だった。好きなことしかやりたくないと思いながら好きじゃないことをやってる人間は、好きなことしかできない人間のことが眩しくて仕方がない。

 

デリバリーお姉さんNeoの第三話が素晴らしかった。正直、第一話をみているときは気恥ずかしさが勝ってしまったのだけれど、今回はエモさが勝った。夜のプールの亀島さんのシーンの力強さよ。やっぱ亀島さん好きだなー。木ノ下歌舞伎も楽しみだ。

 

東博の「茶の湯」展がヤバかった。とにかく物量がすごくて、三時間では時間が足りなかった。唐物より、利休以降の和物がほんとすごかった。利休、織部、遠州、仁清。俺がほしいものを俺が作るのだ、俺が美しいと思うものこそこの世で最も美しいのだ、の精神をビシビシ感じる器の数々。春風亭昇太の音声ガイド以外は最高だった。見終えて虎ノ門に移動して食べたナンディニのミールスがめっちゃ美味しかった。狂ったボリュームだったので食べきれなかったのが心残りである。器にもインド料理にも物量で押しつぶされた。大国と戦う小国の気持ちである。

 

映画「ムーンライト」をようやく見た。本当に美しい映画だった。月の光に照らされた黒い肌。艶めかしく光る蒼いブロンズ。悲しみと愛をたたえた瞳。いまにも壊れてしまいそうな、繊細で、儚げで、しかし決して消えることのない、愛。忘れられないシーンがいくつもあり、ひとつひとつを思い出すと涙ぐんでしまう。

 

あとはキングちゃんみてゲラゲラ笑ったり一時間半ならんでラーメン食べたり休日出勤したり。そんな感じの一週間。

 

 

連休

濁流のようにゴールデンウィークが流れていく。あんなにたくさんあったのに、気がつけばもう余命は幾ばくもない。俺はコップに水が半分入っているのを見ると「まだ半分もある」と思うタイプの人間だけれど、なぜか「まだまだ連休たくさんあるじゃん」とは思えない。「もう連休終わっちまったのかな」と聞かれて「まだ始まっちゃいねえよ」とは答えられない。もう始まってしまったし、始まってしまったからには終わってしまう。ねえ、なんで連休すぐ死んでしまうん。

 

楽しい時間は早く過ぎる。それが真理であるならば、楽しい楽しいゴールデンウィークが爆速で過ぎていくのは自然の摂理ということで、ならば僕にできることはせめて忘れないように書きとめておくことくらいだ。

 

代々木公園でピクニック。晴れてて暖かくて自由で解放されててとてもよかった。スタートは5人くらいで、各々が持ち寄った小さくて可愛い柄の敷物を並べて敷いてささやかな陣地を作って腰を下ろしてお酒を飲んだ。周りには謎ルールの球技(輪になってバレーボールしてるんだけど時折スパイクやブロックが入る、あとサーブもある)を楽しむ外国人グループ、赤い縄で緊縛の練習をする怪しげな集団、それにのんびりとノーマルなピクニックをする様々な人々。最初5人でスタートした集いは、フラリフラリと人が増えていき、終わるころには20人くらいになってた。ひとしきり飲んで内容の無い話をしてゲラゲラ笑ってトイレに立って、少し離れたところから我々の陣地を見ると、みんなが持ち寄った小さな敷物がいくつもいくつも連結されて、カラフルなパッチワークのようだった。バラバラのまま繋がってるその感じがなんだかとても良いなと思った。

 

別の日。井の頭公園に三浦直之のお芝居「パークス・イン・ザ・パーク」を見に行った。「パークス」という井の頭公園を舞台にした映画があって、そのスピンオフ、ということになるのだろうか。映画は未見。とてもユルくて、自由で、可愛いお芝居だった。場所と観客と俳優が作り出す、柔らかくて優しい世界。想定外やハプニングがふわりと許容される。開始前に島田さんや三浦さんが撒いてた桜の花びらをみんなで拾うシークエンスは楽しかったなあ。すぐ拾えると思ったんですけど多く撒きすぎました、これぜんぶ拾わないと公園の人に怒られるんですけどもう仕方ないです、これ以上ここで時間使うと音出しできる時間内に終わらなくなっちゃうんで先に進めます、みなさんご協力ありがとうございました!こんなアナウンスが芝居中に挟まれ、しかしそれがまったく雰囲気を壊すことなく、むしろ穏やかな空気を作ることに貢献していた。たぶん公園のなせる技なんだと思う。誰でもそこにいて構わない、そこで何をしていてもよい、そんな空間。ひとが集い、思い思いの時間を過ごす。そういうひとを眺めながら、ここらにはいろんなひとがいるのだな、いろんなひとがいろんなことをしているのだな、そういうふうにできているのだな、それが当たり前のことなのだな、と肌で感じる。だから、良い都市には良い公園が必要なのだと思う。

 

五月。藤の大棚を見たくて、あしかがフラワーパークへ行った。通勤ラッシュのような電車に揉まれること三時間、栃木県の富田駅で降りる。歩いてフラワーパークへ向かうと、たくさんの人、人、人、そしてそれを上回る花、花、花。

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花を見すぎて脳がバグったのは初めての経験だった。花のゲシュタルトが崩壊した。むせ返るような花の香りってやつを体験したのも初めてだった。化学物質過敏症のひとはここにきたらどうなるのだろう。完全に天然由来の香りだけれど、たぶん普通に具合悪くなるんじゃないか。そのくらい強い香りだった。あと中華圏の方々の自撮りポーズのバリエーションの多さに感心させられた。さすが四千年の長きに渡って積み重ねられた自撮りの歴史である。我々とは年季が違う。

 

宿は鬼怒川温泉にした。偶然にも、僕が予約した宿は彼女の子供時代の家族旅行の定番の宿だった。ここ来たことある、このお風呂見覚えある、彼女は移動するごとに記憶とエモが蘇っている様だった。どうせなら部屋も同じならよかったのだけれど、そこまで上手くはいかなかった。温泉で疲れを癒やし早々に就寝。翌日は日光へ。日光はとにかく湯葉だった。湯葉をめっちゃ推してくるのに豆腐はどこにも見当たらないのは何故だろう。湯葉が美味いなら豆腐も美味いのでは。とりあえず揚げ湯葉饅頭(要するに饅頭の天ぷら)と湯葉むすび(炊き込みご飯のお握りに湯葉を巻いたもの)が凶悪に美味かった。つまみ食いをしながら、東照宮を目指し長い坂道を登る。「お寿司 中華料理」と書かれた看板に首を捻りつつ歩いていくと、今度は「お寿司 聖飢魔II」と並んで書かれた看板を見つける。日光におけるお寿司とは何なのだろう。我々の知っているお寿司と日光のお寿司は別物なのだろうか。検証したいところだったが、両店ともシャッターは降りていた。後ろ髪をひかれながら坂を登り、東照宮手前の金谷ホテルでランチにする。ふかふかの赤絨毯の感触が足裏に心地よい。いいなあ。一度泊まってみたいなあ。

東照宮は中国だった。装飾の色使い、元ネタになってる故事成語や逸話、それらが尽く中国なのだ。
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自分の知ってる寺社仏閣や桃山〜江戸文化との乖離がすごくて混乱する。儒学の影響だろうか、などと考えて調べながら拝観するも資料が見つからない。そもそもの自分の認識が間違えてるのか、当時の建築・美術としてはこの感じは普通のものなのだろうか。誰か詳しいひとがいらっしゃれば是非ご教示いただきたいものです。あととにかく人と坂がしんどかった。かの有名な眠り猫を見るための行列があったのだけれど、眠り猫を目指し並んでいると、そのまま山の上にある家康の霊廟へ続く長い長い石段に誘導されてしまうシステムになっており、しかも人が多すぎて後戻りすることも困難で、数多のお年寄りが石段の途中で難儀していた。加藤鷹みたいな外見のお爺さんといたってノーマルな外見のお婆さんが支え合い励ましあいながら石段を登っていて何というか愛だった。若いころはいろいろ苦労もあったのだろう、いまは幸せそうで何より…みたいなことを勝手に考えてしまう。実際は昔からラブラブだったのかもしれないし、むしろお婆さんがやんちゃしてたのかもしれない。真相は不明なので妄想するしかないのである。

境内の中で何箇所か、お堂に上がれるスポットがあり、そこではお坊さんの解説を聞けるのだけれど、喋りがこなれすぎてて逆に違和感だった。なんだろなこのこなれ方、坊さんっぽくないんだよな、なんかに似てんだよな、と思いながら解説を聞き、先ほどみなさんがなさったお参りね、あれと同じだけのご利益のあるお守りがこちらになります、全6色に加えて陽明門の回収記念でいまだけの限定カラーをご用意しました、なんとゴールドです、金ピカですよ、ね、ご利益ありそうでしょう、のあたりでこれはただの実演販売なのでは…ってなった。でもよく考えるとそもそも東照宮とは家康を神格化することで徳川幕府の権威を高める政治的装置なわけだから、いまの東照宮が現世利益を追い求めることはアティチュードとして正統っちゃ正統なのだ。

 

東照宮を見終えるころには日が暮れかけていた。寒くなってきたね、温かいものを食べたいね、そんなことをいいながら参道を下り、茶店の看板の「お食事」「蕎麦」の文字に吸い寄せられるも軒並み閉店済みで、やっと見つけたのは参道の外にあるお肉屋さんだった。我々はそこで唐揚げを注文し、店先のベンチに座った。酷使した脚を曲げると関節がバキバキと音を立てた。しかしよく歩いたね、早く温泉に入りたいね。そんな言葉を交わして少しふくらはぎを擦った。それから、山の端の色が群青色に変わっていくのを眺めながら、唐揚げが揚げられるのをふたりでじっと待っていた。

 

帰ったらその日の夜に末広亭深夜寄席に行こう、そのためにもチェックアウトしたら遊ばずにそのまま帰ろう。そう言って朝10時すぎの特急列車に乗る。大荷物(帰路の荷物というものはなぜあんなにも膨らむのだろう、そんなにお土産買ってないのに)を抱えて新宿駅に降り立ち、なぜかそのまま高島屋のパティシェリアに行ってケーキを食べる。たぶんあまりの疲労に身体が糖分を欲したのだと思う。ひとり二つのケーキを食べ、タクシーで家に戻り、そのまま熟睡。昼過ぎに起きて公園へ行き、日暮れまで何をするでもなく日光を浴びる。帰宅してダラダラとしているうち落語の時間が近づくも、二日間歩き通しの疲労で完全に駄目になってしまい断念。凪でラーメンを食べ、彼女を駅まで送って帰宅。柴田聡子の「後悔」をリピート再生しながら潰れるように眠る。

 

この休みのあいだ、ずーっと「後悔」をリピート再生していた。旅行中もホテルの部屋で聞いていた。メロディも声も歌詞もすごくいい。旅行のあいだもつい口ずさんでしまって、そしたら彼女にもそれが伝染して、ふたりで口ずさみながら歩いていた。バッティングセンターでスウィング見て以来実は抱きしめたくなってた、のところばっかり歌ってしまうので、彼女の中ではこの歌はバッティングセンターの歌ということになっているらしい。柴田聡子のバッティングセンターの歌。それはそれで悪くない呼び方のような気がする。

 

五月の連休はこんな感じで過ぎていった。

記憶たどって

ジブリ美術館に行こうって一月半も前からチケットとって予習復習なんかもやって、でも当日になったら前日までのハードワークに二人ともグロッキーになっちゃって目が覚めたのは入場に間に合うかどうかすっげー微妙な時間で、どうする?まだ間に合う?本気出せばいける?どうする?本気出す?みたいなやりとりをしつつでも起き上がるつもりは一切なく、そうこうしてるうちにどう足掻いても絶対に間に合わない時間を迎え、あーやっぱ行くべきだったよねーさっきのタイミングで起きて本気出してタクシー乗ったらなんとかなったよねー行きたかったねー勿体ないことしたねーみたいな感じで無駄にしてしまったチケットの名残りを惜しみ、ところでお腹すかない、そろそろ起きないとランチタイム終わっちゃうよ、行ったことない方面にぷらぷら歩いて行ったことないラーメン屋さんに行こうよ、この明るさだとだいぶいい天気だと思うよ、で出てみたらその通り外は快晴、歩き出してすぐに新規オープンのアイスクリーム屋さんを発見、レモンソルベとピスタチオのダブルをひとつ、塩ミルクとプラリネバナナとレモンソルベのトリプルをひとつ、公園のベンチに腰を下ろして並んで、あっちにははしゃぎまわる子どもたち、こっちには小さめのベンチで身体を折り曲げてむりくり昼寝する青年、見上げれば太陽と萌黄色の葉桜、ふたりで5種類のアイスを平らげ、知らない道をホテホテと歩いてラーメン屋へ、ハンサムな店主と美人な店員さんの作る端正な醤油ラーメンを堪能しそぞろ歩きを続行、坂を下ってケーキ屋さんをのぞいて友達にばったり出くわして、なにやってんの、散歩だよそっちこそなにやってんの、散歩だよところで見慣れんコーヒー持ってんねそれどこの、あーこれあの健康食品とこの隣にあたらしく出来たんだよ、そーなんだ行ってみるわ、んじゃまた、って別れて通りすがりにいい感じの古本屋を発見し吸い込まれ、植草甚一の古い大判のムック本、高野文子の「棒がいっぽん」、北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」など何冊か購入、ずっしりと重たい紙袋を抱えてコーヒー屋さんへ向かい、お洒落なんだけど味は普通なコーヒーを飲みながら戦利品を吟味、帰宅するころには日もくれちゃって結構いい時間になっちゃって、荷物おろして靴ぬいで、とたんに襲いくる疲労感、あーもうだめだ動けねー動きたくねーってベッドに倒れこんでいつのまにか眠りこんでしまう。

先週末、確かこんな感じの一日があったような気がする。

ほっとくとするっと忘れてしまいそうだから、いまのうちに書いておく。

草津へ

相変わらずファッキンビジーな状況でもともと多くないMPをガリガリと削りながら過ごしている。自覚症状はないのだけれど時折シュオオオオオみたいなクソデカボリュームのため息をついてしまっているらしい。指摘されるまで気がつかなかった。意識の片隅にそのことを置いてみると、なるほど確かに渾身のため息を吐くことがある。あ、これか、となるような深く長いため息を吐きながら、俺は龍じゃなくて良かったな、もし龍だったら何回かに一回はうっかりしゃくねつのほのおとか吐いてんだろうな、俺そういうミスやりがちだからな、みたいなことを思った。もし龍だったら大変なことになっていたんじゃないかランキング、第一位はハイキングウォーキングのQ太郎だと思う。山手線一周言い終わる前にヤバいブレスを吐くことになる。龍にコーラを飲ませてはいけない。

 

そんな感じの毎日を過ごしていると、まずやられるのは好奇心である。仕事も娯楽もひっくるめて、あらゆるインプットが億劫になる。なのでドラマも映画も本もロクに触っていない。音楽も聴いてない。愛用のワイヤレスイヤホンがどこにあるのかも定かではない。呼べば音声で応えるような機能がついてればいいのに。けれどそこはイヤホンだから、出せたとしても小さな小さな音しか出ない。大きな音を出したいだろうに、わたしはここです、見つけてください、と蚊の鳴くような声でささやくことしかできない。ああ、わたしどうしてイヤホンなのだろう、わたしスピーカーだったらよかったわ、二軒となりの家まで聞こえる大きな音を出す、そういう近所迷惑なスピーカーだったらよかった、そうすればどこにいたってわたしを見つけてもらえるから、わたしスピーカーだったらよかったわ…。春になって着なくなった冬物のコートのポケットでワイヤレスイヤホンはスピーカーの夢を見る。しかしもしイヤホンがスピーカーだったとしても、借家暮らしの俺はそんなうるさいスピーカーを購入しようなんてまったく思わないのである。悲しい話だと思いませんか。

 

そういえば草津へ行った。手配したのはまだ真冬の頃で、そのときにはいまがこんなに忙しくなるとは思っていなかったのだ。ほとんど徹夜のように仕事をして、バスタ新宿を朝に出る高速バスに乗りこむ。たっぷり四時間のバス異動。早々に眠ってしまい、起きたのは二時間後。バスはすでに高速を降り、車窓には山あいの田舎の風景。地元にいたころよく見たような景色。東京では見頃をすぎたソメイヨシノがここらでは盛りである。少しバスをとめてほしいな、と思うような桜の森がそこかしこに広がっている。週末なのに、花見客はいない。誰もいない満開の桜の森。出来るならば、夕暮れが夜になるまでそこで大の字に寝転んで過ごしたかった。薄桃色の霞が青く染まっていくのを見ながら、自分がどんなふうになっていくのか、確かめてみたかった。いつのまにか自分も花霞の一部になって、だんだんに輪郭を失って、一迅の風とともに消え去ってみたかった。坂口安吾の小説みたいに。

 

草津に近づくにつれ、桜は姿を消していく。標高が上がっていき、代わりに残雪が現れる。高原の四月はまだ冬なのか、とバスを降りると思いのほかに柔らかい空気。ああ、これがここの春なのだな、と思う。そういえばそうだった、生まれ育った北国もこんなだった。名残りの雪があっても、桜はまだでも、それでも四月は春だった。

 

草津は坂の街である。なにせ山だから仕方ない。一泊にしては多すぎる荷物を抱え、我々は坂を降りる。彼女はやり残した仕事をやるためパソコンやら資料やらをごっそり持ってきたらしい。どうせやらないに決まっているのに。しかしすっぱり諦めて置いてこれないその気持ちは大変によくわかる。旅先で仕事なんてしたくないし、締切考えると遊び呆けるだけの二日間なんて作りたくない。どっちも選びたくない。だから選ばない。やろうと思えば仕事をやれる状態さえ作っておけば、決断はいくらだって先送りできる。未来は常にシュレディンガーの猫であってほしい。わかるぞ。でもどうせ仕事はやらないのだよな。それもわかるぞ。

 

温泉饅頭を食べつつ湯畑の周りをぐるりと周り、湯もみショーを見学して足湯に浸かる。湯もみショー。地元のおばちゃんが付き合いで仕方なく出てるお稽古事の発表会のような出し物。満員の観客から発せられる俺は何を見ているんだろうオーラ。湯もみとは草津温泉の熱すぎるお湯を冷ますために編み出された技らしいのだけれど、それにしても観客の熱を冷ましすぎだと思う。たぶん足湯がなければ大変なことになっていた。

 

湯畑から坂道を登り続けること10分、福利厚生をフル活用して予約したお宿は、静かでチグハグで快適だった。賑わいから離れた、山あいの別荘地。三角形の積み木を重ねて作ったような、鋭角の目立つ二階建て。ただしとても横に長い。ホテルというよりはバブルのころリゾート地に作られた美術館のような外観。横長の端の部分から中に入ると、フロントは作業着のおじさん。プロっぽさはゼロだが、人の良い雰囲気。フロントで靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。このホテルは土足厳禁なのだ。内装はコンクリ打ちっぱなし。 横長の真ん中の部分にラウンジがあり、洒落た応接セットがいくつかと地元の新聞、それに進撃の巨人刃牙道の単行本が飛び飛びに並んでいる。段差と階段がやたらと多く、推理作家がトリックの都合で設計したような面倒くさい構造になっている。しかし部屋は完全な和室。座る、くつろぐ、横たわる、眠る、であっという間に夕食の時間。レストランに行くと、客の多くは浴衣。供されるメニューは、プチコースというのだろうか、前菜3種、的鯛のポワレ、上州牛のステーキ。それにセルフサービスの味噌汁と白米。念のため、パンとスープはありませんかと尋ねると、すみませんございません、その代わりふりかけは5種類ございますのでお好みで、とのお答え。とりあえず4種類は堪能した。久しぶりに食べたけど、ふりかけって美味しいね。

 

ここまでの時点でこのお宿のチャーミングさにだいぶ惚れこんでいたのだけれど、大浴場でそれは恋に変わった。まず、人がいない。ここの宿泊客は温泉に興味がないのだろうか。週末の温泉宿で大浴場独り占めなんて初めてだ。内湯と露天で源泉が異なるのも嬉しい。特に内湯は草津6源泉でもレアなわたの湯。入ってみると、あたりが大変に柔らかい。やや濁った湯には湯の花が浮く。もちろんかけ流し。箱根みたいなチョロチョロしたケチ臭いかけ流しではなく、無人の浴槽からお湯がドバドバ溢れる豪気なやつ。さすがは草津、湧出量が違う。しばらく温まってサウナ。こちらも無人。蒸し上げて水風呂。冷たい。雪解け水そのまま流し込んでんのかってくらい冷たい。近所の銭湯の16度には嬉々として入る俺ではあるが、ここの水風呂はギブアップ。諦めて外へ出るとデッキチェア。そのまま横になる。四月といえど、高原の夜は冷える。露天風呂は半地下のような部分に作られており、目隠しの囲いのようなものはなく、リクライニングした視界にはただ星空と群青色の森が広がる。冷気に引き締められながらぼんやりと夜を眺めていると、ひょっこりと白い猫が現れた。猫はひょうひょうと歩いてきて、こちらを視認した途端ビクッとして立ち止まる。あまり人馴れしている様子はない。もう少し近づいてもらいたいので無機物になってみる。動きをとめ、目を閉じ、思考を停止する。努めて生物の気配を消す。しばらくの間そのままでいて、頭から猫のことが消えたころに目を開けてみる。猫はどこかへ消えている。立ち上がって露天風呂に浸かる。冷え切った身体に万代鉱源泉の熱さが心地よい。じっくりと温まって、またデッキチェアに寝そべる。部屋に戻るまでにそれを三回繰り返した。猫はもう現れなかった。

 

翌日。朝風呂をしっかりと堪能し、海苔と納豆と卵と梅干しと焼魚、それからご飯と味噌汁の朝食。ふりかけも5種類しっかり揃ってる。いつも思うのだけれど、お宿の朝ごはんというものはこんなに飯の友ばかり並べてどういうつもりなのだろう。この飯友たちを消費しきるのに、ご飯を何膳食べればよいのか。おまけにふりかけ。5種類。何だこれは。米食い大会か。わんこライスか。あと何升炊きなのかわからんけど見たことないようなデカい炊飯器にたんまり米が詰まっているせいで真ん中より下の部分が自重で潰れて米の密度が偉いことになってる。半殺しの餅みたいになってる。あのまま炊飯器のサイズを増していけばそのうち米のブラックホールができるんじゃないかってくらい自分の重さで潰れてる。炊きたての白米のブラックホール化。ほかほかの湯気すらも炊飯器から逃れることはできない。だから部屋の湿度も変わらないし壁や棚に蒸気が当たる心配もないし蓋を開けても水滴も垂れない。最近の炊飯器は便利だな。

 

西の河原公園を散歩し、足湯に浸かりながら大学のサークルの新歓旅行のまだ人間関係が出来上がっていない様を仏のような笑顔で見つめ、美味くてボリュームのある蕎麦と舞茸の天ぷらを食べ、共同浴場を三軒ハシゴしていたらもう帰りのバスの時間。渋滞に巻き込まれつつ予定より一時間遅れで帰宅。しかしあれだね、旅先から帰ってくるときの、車窓の景色がだんだん日常風景に変わっていく感覚、あの寂しさと倦怠感と安心感の混ざった感じ、あれはどういうふうに対応したらよいのだろうね。あれをどうしていいかいまだにわからなくて、いつもなんだかオタオタしてしまうのだ。

 

旅というとどうしても興奮して疲れてしまうタチなのだけれど、あのホテルの雰囲気や温泉のおかげで存分にリラックスすることができた。仕事のことを完全に忘れられた二日間だった。重たすぎてかわりばんこに背負っていた彼女の大きなリュックの中には仕事がみっしりと詰まっていたにもかかわらず、それを背負いながらも仕事を忘れられたわけであるから、流石は草津、温泉番付東の正横綱の面目躍如といったところか。いいなあ温泉は。どうせ仕事してればまたすぐ削られてしまうわけだし、現に草津からそう経ってないのにもう削られてきちゃってるし、また温泉に行きたいものだ。なるべく人がいないとこへ行こう。休みがとれたら。

 

朝のこと

恐ろしい朝だったので忘れないうちに記録。

 

悪夢を見た。はっきりとは覚えていないけれど、やたらと長い夢だった。長いだけあって単純な話ではなく、群像劇というか、いくつものエピソードに分割されており、登場人物も老若男女様々で、しかもそれらはシームレスかつ脈絡もなく連結されていて、登場する男性はすべて俺なのだった。現実の俺とは見た目も名前も境遇も何もかもが異なる別人なのだけれど、その夢の中では誰も彼もが俺なのだ。

エピソードは全て、男女の揉め事だった。男とは様々な俺で、女性はその俺と関係のある、しかし現実の俺には見ず知らずの、そういう誰かだった。すべてのエピソードにおいて、俺と女性の関係は終わりかけていた。どちらかが何かを言い出せば終わる空気の中で無言で過ごす話もあれば、泣きわめいて暴れる女性をなだめ続ける話もあった。女性が決定打を撃とうとしているのを察知して、それを言わせぬよう、ひたすら話を反らし続ける俺もいた。一番はっきり覚えているのは、目が覚める直前に見ていた夢だ。その夢の中で、俺は汚い初老の男性だった。不摂生の果てに獲得した色艶の悪い萎びた身体、禿げあがった頭、無精髭とはみ出した鼻毛。築年数の推定も難しいオンボロのアパート。万年床の隣には一年を通して片付けたことのないコタツがある。俺は下着のシャツとトランクスだけを身に着け、コタツに足を入れている。隣には女性が座っている。加齢のせいか、姿勢が悪く口角も下がり、陰気な雰囲気を全身に纏っている。夢の中の俺と俺の部屋に良く似合った女性だ。俺は女性にも、この部屋にもうんざりしている。女性も俺と全く同じ気持ちでいる。夢なので俺にはそれがわかっている。倦怠感は昨日今日始まったものではない。いつからなのかわからないくらいには昔からそうなのだ。俺はずっと、変化を望んでいる。この女、俺にうんざりしているこの女がそのことを口に出してくれればいいと思っている。あんたなんかうんざりだ、もうこんなのは御免だ、もう絶えられない、そう言ってこの部屋から出ていってくれればいいと思っている。そう思いながら、長い長い時間をこの部屋で過ごしている。

ならば自分から別れを告げればいいと思うだろうが、俺にはそれが出来ない。相手を傷つけたくないからだ。優しさではない。相手を傷つけることによって生ずるストレスに耐えきれないのだ。いや、それだけではない。俺は変化を恐れている。目の前のくたびれた女性と過ごした時間、うんざりしながら過ごした時間に慣れきってしまっているから、そうでない時間を過ごすことが怖いのだ。怖くて怖くてたまらなくて、自分でスイッチを押すことが出来ないのだ。そんな恐ろしいことをするくらいならこの倦んだ空間に閉じこもり続けるほうがマシだと、心の奥底ではそう思っているのだ。

女は俺の隣で顔を伏せて座っている。時折、ほんの少し顔を上げて、諦めと僅かばかりの期待の混ざった眼で俺を見る。女は俺とまったく同じ気持ちでいる。夢だから俺にはわかってしまう。俺たちは二人、床下収納の中の忘れられた食材のように、この空間の中で腐っていく。

 

目が覚めた。肩がガチガチに張っている。胃に水銀を飲んだような重たさと、キリキリとした痛みを感じる。寝ぼけた頭で考える。あれのせいだ、いまの彼女と出会う前、セフレみたいな恋人みたいなグズグズネトネトした関係にあった、終わり方がグッチャグチャだったあの女性のせいだ、寝てる間、脳が記憶を整理してるときに何かの切欠で思い出してしまって、それであんな夢を見たんだ、バチが当たったみたいなもんだ…このあたりでもう少し頭が覚醒する。そして気づく。そんな女性は存在しない。いま思い出していたこの記憶は、存在しなかったことの記憶である。俺はいま、ありもしないことを本当のことのように思い出していた。ほんの少しの間ではあるが、自分の記憶が改竄されていた。

 

刹那、全身の毛穴が逆立ち、同時に冷たい汗が吹き出る。恐くてたまらなくなり、毛布にもぐる。隣で寝ている恋人に抱きつき、お腹のあたりに顔を埋める。頭のほうから、にゃ、と寝ぼけた声がする。悪夢を見た、めっちゃ怖かった、そんで起きたら今度は記憶がおかしくなっててめちゃくちゃ怖かった、あれは反則だ、悪夢から覚めたらもっと恐いことが待ってるっていくらなんでもそれはルール違反だ、そんなことを呟きながら俺は彼女にしがみついていた。体温を感じていた。呼吸する音を、呼吸にあわせて拡張と縮小を繰り返す胴体の運動を感じていた。過去の記憶がすべて嘘でもこの感覚は疑う余地なく本当だ。そう全身に信じ込ませるには、もう少し時間が必要だった。